などと秘密めかした言い回しをしなくても良いのですが。
とあるギャラリーです。

ここで個展をされている作家さんの知人です。
ギャラリーのオナーさんが毎度のことながら、わたしを「人を撮るのがお上手な写真家さんです。」と紹介してくれましたのlで、「そうなんです。人ばかり撮っていて、こうして目の前にどなたかが座るとついつい撮りたくなるんです。」と、いましがた作家さんを撮ったカメラを、またぞろ取り出します。

私が加わらせてもらった写真集を撮りだして、イベントの宣伝に余念のないオーナーです。
今年も6月21日に清水寺で100本のトランペット演奏をする予定なのです。今回は私は噛んでいませんが、それで「この写真集の写真を撮てくれたのがこの人で・・・・。」とうまく話を回してくれます。

話は大きく変わりますが、私が今日ここに足を踏み入れて、「二階の作品も見せていただきますね。」と階段下に足を運ぶと、二階から「写真を撮って!」と、私の存在を知らないままに、ある人の声が降ってきました。それで二階に上がると、顔見知りの二科展などの出品画家さんがいて「あら嫌だ、ちょうど写真家さんが現れた。撮ってもらっていいかしら。でも悪いわね、プロにスマフォを渡して撮ってほしいなんて。」というのです。
どうも皆さん、持ち上げるのがお上手で。
無論、撮って差し上げました。 スマフォは、どうも軽いし保持しにくい構造で、安定してシャッターが切れません。私は苦手です。

皆さん言います。ここはちょっと変わり者が集まりますね、と。
個性がくっきりして行動に自分の哲学がある人が多いということだと私は思っているのです。
先ほども80歳をいくつか越えた京町衆が、あるイベントがらみで次の用件の場所にとんでいきました。大したものです。
高齢化社会、結構じゃないですか。
- 2021/02/28(日) 00:00:04|
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