一旦は通り過ぎたのですが、これはやはり見逃してはいけないと思い、転回して戻りました。
ここに「今」が凝縮されていると思いました。言い方を変えれば、この人の存在と行動が「今」でした。今の中に孕まれている問題性と肯定的な方向性が現れています。
神は細部に宿ると言いますし、個別には普遍が反映するという事ですから、理屈の上ではすべての個別に、同じことが言える訳ではありますが、それが際立って形になっている、地質の変遷が露呈しているように、歴史(的精神が)がこの人を介して露呈しているように思いました。

東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長森氏が辞任を表明しました。が、保守系の国会議員などが、何故こればかりの発言で首をとられなくてはならんのだと無念さを隠しきれていません。この森氏の存在と発言が、昨年来、日本に起こってきていること、それに対して民衆が感じていることの交差点というか、十字路にある、焦点になっているのだということを彼の人たちは全く理解できないのでしょうねぇ。

だから愛知ビエンナーレで日本会議系の人たち・・・高須氏や名古屋市長の河村氏など・・・・に満腔の共感を表明をしていた、およそ文化というものの在り方についての意識が国際水準を大きく下回ってい人物が、次の会長候補として浮かび上がってきていると言うことに驚きを禁じえません。しかも、まるで民主的手続きを経ないで、批判されて辞任を余儀なくされた当の人が密室で推薦してそれを組織が追認するという、まさに談合が平然と行われていることに少しも疑問をもたないで選んでしまいかねないようなことが東京五輪・パラリンピック組織委員会に起こっています。(これを書いた後に川渕氏の線は消えました。)
日本の保守政治家たち、また諸組織を牛耳っている人たちは世界の民主主義、基本的人権についての考え方の発達から遠く置き去りになっていて、完全に周回遅れになっていることが明らかです。
私のように半周遅れの人間から見ても暗澹たる姿を見せています。

先の衆院選で、驚いたことが一つありました。 日本共産党が「LGBT
などのについて『ジェンダー平等』」を前面に打ち出したことです。 政党がですよ。
私はそれを見て、日本政治史上、日本人の精神史上注目すべきこと、画期になるだろうだと書きました。
共産党が歴史的事態を深く正確に見抜いていたんだということが今日の状況を通じて明らかになっています。今更ながら感心させられます。
まあ、それをもって今回の森氏辞任要求の広がりを、こうした政治勢力の謀略だといってことをすまそうとする人たちが、またぞろ出ています。が、なんて歴史観の非力・脆弱な人たちだろうと思います。問題は共産党を支持するか支持しないかと言うような次元のことではないのです。

また、組織によらない個人の意思表明の仕方に関しても、新たな姿をこの人は表現しています。
そのやり方についても旧態を抜け出しているのです。
ネット上で様々な個人が、積極的に政治的な、またその他の事に関しても個人的意思表明、見解表明をしている流れと符合しているでしょう。 聖火ランナーの辞退やボランティア辞退も同様でしょう。 それらは組織的な呼びかけとは次元を異にしています。
無論、だからと言って組織的な行動や意見表明を、私は少しも低く見るものではありません。

政府や多くの自治体の政策の基本に「第二十五条すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」という日本国憲法の規定、精神が堅固に貫いているなどということはとても言えません。
この人の主張はまさにそこにあります。 私たちには健康で文化的に生きる権利があり、それは必ずしも個人の努力で実現しうるものではなく、その実現には公的な支援が是非とも必要なのだ。政府府はその責任を負っているという事。そのことは自動的に実現されるものではありません。
様座なな発言、行動によってしか勝ちえないことです。
呼びかけのチラシの上にミカンが置いてあって、どうぞお取りくださいと呼びかけています。


わたしも一ついただきました。
- 2021/02/12(金) 12:53:33|
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