写真の個展について私は二つの考えを持っていました。
私はリタイア後の(つまり今の活動を始めて)3年後に初めての個展をしました。
それまで、個展などと言うモノはなまなかなことでするモノではない。 よほどよく撮れた写真で、見ていただいた人に、それなりに、まあ撮れているんじゃないのと言ってもらえるようなものでないといけないと思っていたわけです。 何か気持ちを動かすような、気持ちに残るような写真でないとダメだと。

ところが、もしそう考えるとしたら、この私がそういう境地に至ることが果たしてあるんだろうかと思う訳でした。
それは無理な相談だろうと思うのでした。 ということは、私は個展をするという経験を持つことができないのだろうか。個展をしたらどういうことになるのだろうということを知らないままで終るのだろうか。

ある時、手作り市の会場を歩いているときに、「待てよ!この人たちは皆こうして個展を開いているじゃなのか?!。」と思いました。
街のギャラリーを訪ねているときに「こういう作品で個展やグループ展をしちゃまずいんじゃないの?」と思うことがありました。
これはどういうこと、私の考えはどこかおかしい?!

個展がどういうものか経験もしていないのに、ああだこうだと考えていること自体がおかしいんじゃないの。
やって見て、どうもやはり私の出る幕じゃないなあと思えれば、ごめんなさい、不遜でしたと引っ込めばいいじゃない。
第一免許も資格試験も必要ないんだから、自分がやりたいと思えばしたらいいんじゃないの?!

私の個展を見て「どうもひどいね。こんな写真で人前に出てくるなんて。」というものがいるに違いないけど、そうでないことだったるだろうし、どれくらい酷いか酷くないかも見てもらって話を聞かなくちゃ分からない。ダメですねぇという批評を聞く覚悟さえあればできるんじゃないか、やってもいいんじゃないかと。

で、やってしまいました。なんと二週間です。見ていただいた人はとても少なかったです。
でもプロの写真家に「写真家を名乗れ」と言われたりして、また写真を前にしていろいろ語り合うことができたり、やって見なくては分からない楽しさがいっぱいありました。
夜銀座 我が名はまだき立ちにけり 人知れずこそ 裏口に回るも
自公評定衆の文春を怒りて詠める
詫びぬれど 今はた同じ 都構想 姿変えても 成さんとぞ思う
異心末意朝臣 不諦
人はいさ 民心知らず 自民党 民の心は 六割離れ
人はいさ 民心知らず菅宰相 二階の他にすがる人無し
- 2021/02/02(火) 00:00:04|
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