ここのところ以前撮った写真をアップしていますが、2014年ころまでのモノをあげています。
退職後それまでしたことのないような街歩きをしました。それで今までは気づかなかった建物・施設や人の動きを知りました。
私が職場にいて働いているような時間帯の街の動きを見るのはまだまだその頃は新鮮でした。

この人はJARFOという団体のギャラリーの前で版画制作をされていました。
それまで私はギャラリに足を踏み入れるような気持ちの余裕なしに働いていましたので、できるだけ色々なところに足を踏み入れるようにしていましたが、何も知らない故に心理的なハードルは高いものでした。

そもそも芸術の分野で若い作家たちがどうやって育ち、食べていけるようになるのかということなど現実的なものとしては分かっていませんでした。
芸術系大学を出て卒業すれば、才能のあるものはやがて認められて画家になると言うような実に漠然とした浮世離れした非現実的な知識でした。

色々なギャラリーに出入りしてギャラリストさんともお話が出切るようにない、又若い芸術家志望の人たちとも交流するにつれてようやくその大変さと、そしてその大変な道を行こうとする若者の姿を知ることになりました。

そう言う彼らの姿を見たことも、わたしが不遜にも個展をするようになった理由の一つでありました。

このギャラリーはいったん河原町今出川を下がったあたりに引っ越して、今は西大路丸太町を下がったあたりに引っ越しています。つい先ごろも出かけて作品を見てきました。ここの責任者の方にはいろいろお話を聞かせていただいています。
定年退職したころには「定年後の思い出」などというものができるなどとは思ってもいませんでした。

ただ、この版画のように後に残る活動をしたいということで、写真を撮っていたという事です。
それがいつの間にか「思い出」になっていました。

前にも読んだことのある『日本の思想文化』(三枝博音 著 中公文庫)を読み直しています。
前回読んだ時に「このように素晴らしい先人を持つことを世は知るべし」と独互換としてメモしています。
三枝氏が三浦梅園や海保青陵、宮崎安貞などについて書いているからですが、「このように素晴らしい先人」に三枝博音氏を入れなくてはならないのは当然です。
高校の教科、倫理や日本史では最澄や空海、あるいはいわゆる鎌倉新仏教と言われる浄土宗(法然)、浄土真宗(親鸞)、法華朱(日蓮)、臨済宗(栄西)、曹洞宗(道元)などの宗教家についてはその思想を幾分かの字数を費やして書かれていますが、江戸期の自然哲学者、農学者たちについては名前と著書が紹介されるくらいで思想史的な位置づけなどはほとんどありません。日本思想史はまるで宗教史になっている感があります。
「明治」期以降の思想についてもかなり偏りがあって社会科学・自然科学的な分野の紹介に割く文字数はごくわずかで、ほとんど文芸史、芸術史の観を呈しています。技術史などは全体を通してただ道具の紹介だけですしね。
まあ、そもそも教科書のページ数があまりにも少なすぎるのですけれど。
(教科書の内容を「覚えなくてはならないもの」という意識で見ればこれ以上教科書が厚くなることに反対する人が多いでしょう。が、そういう方には教科書観を変えていただかなくてはいけませんね。)


- 2021/01/26(火) 00:00:04|
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