この撮影ののちに彼らに誘われて幾度かライブをとりに行きました。
未体験ゾーンに踏み入れたわけですが、彼らの新設によって楽しい撮影体験ができました。
ビールを飲みながらの撮影も初体験でしたね。
そしてこうした縁勝者が自分の演奏の姿を写真に撮ってほしいという気持ちを持っていることも知りました。
宣材としても写真が必要なんですね。
そして実際何度か撮影をしてもらう経験があって「soujyu2さんの写真は演奏する側の気持ちがよく現れていて一番好きです。」なんて言われて他のミュージシャンたちにも写真が紹介されたりすると、ずいぶんうれしくなって調子に乗っていたものです。

そして、写真を撮るときに聴衆の代理人みたいな役割を果たすことがあるんだなあということも彼らに教えてもらいました。

クラシックの演奏者を撮った時もよくそう言われました。
写真を撮るってことがどういうことか、新たに発見できたことでした。

京都府ではCOVID-19の重症者用に720のベットを確保しているかのように振る舞ってそのベッド使用率を算出してきました。しか~し、その実態と言えば使用可能なベッドは330しかなくて使用率は倍以上になることになりました。
つい先ごろ大阪府などとともに京都府もまた緊急事態宣言対象自治体に入れてもらったわけですが、その時には分母を720にして使用率を低く見せていたのですね。
大阪でも、この実態に見合わない、希望として確保するつもりのベッド数と実際に使用可能なベット数は大きく乖離していたわけですが、それが公然化した時に、京都府は知らぬ顔をしてその後も府民を欺き続けてきたという訳です。
政府や自治体が、国民や府民に対して情報を偽るということは民主主義の根幹にかかわる悪行です。国民・府民主権であって総理大臣も自治体首長も、その主権者に対する公僕であるはずです。その公僕が主権者に対して、れがこうして感染者が急増して「(使える)ベッドが足りない」という事態に直面するまでひた隠しにしてきたわけです。
あれ?もっとあるはずじゃないの?! という事態に立ち至って初めて、仕方なく事実を明らかにする。そうでなければ隠しきれるとでも考えていたのでしょうか。
門川市長という人は日本会議の鍵山 秀三郎氏の提唱する「トイレ掃除で心を磨く」という「道徳教育論」に感化されてかどうか、(あらかじめ水で流すとしても)糞便で汚染されたトイレを「素手」で掃除をさせることを道徳教育として推進してきた「先生」だったのです。
(私たちもまた長い柄のたわしを使ったりしてきたとはいえこの点の衛生観念が厳格でなく、てゴム手袋の使用や清掃後の手指の消毒、あるいは専門業者への委託をすすめて生徒による清掃を止めることに熱心でなかったことは大いに反省されるべきだと思っています。が、門川氏らの考えはそう言うこととは次元を異にするものです。)
科学的な感染症についての知見を無視して主観的心情的な「道徳心」のために手袋なしでトイレ清掃をさせることに疑問をいだかない人に今日のCOVID-19の広がりをおさえて市民の命と健康を守る政治ができるのでしょうか。
- 2021/01/22(金) 00:00:14|
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