あれは2019年6月の事でした。
清水寺の経堂をお借りしての個展のことです。「音楽・人・人生」と題してそれまで撮りためたプロ・アマのミュージシャンの写真を展示しました。
ジャズあり、クラシックあり、邦楽ありでした。

そういう写真の初めのころのものです。
若いころ見たレコードジャケットのミュージシャンの写真を「いいなあ」と思っていたことが多分に影響しているのだろうと思います。

音楽よりも「人」に焦点を当てようとしているのですが、そこはやはり「音楽をしている人」にならざるを得ません。
表題に「人・人生」を入れているのは、音楽の場で、音楽を通じて、音楽によって・・・生きている人を撮りたいという願望ですね。

今こうして書いているときにもトロンボーンによるジャズ曲を流しているように、音楽は嫌いではありませんし、楽器演奏のできる人に対するあこがれが強いですから、撮るときにやはり音楽の楽しさとか美しさとか厳しさとか壮麗さとか・・・・を撮りたくなるのも仕方がありません。

今は、冬で寒いし、SARES-Cov2の事もあるし、それに何だか他の事情もあるかして、路上パフォーマーの姿がめっきり見られなくなりました。

夏の東京五輪について、首相は演説で「人類が新型コロナに打ち勝った証し」としたいと重ねて表明。「感染対策を万全なものとし、世界中に希望と勇気を届ける大会を実現するとの決意の下、準備を進める」と明言した。(時事)
私からすれば、もうこれは漫画ですね。(いやそう言っては漫画が可哀想ですが。)
「人類が分断されて、豊かで自己本位な一握りの人々が同国や、貧困にあえぐ世界の大半の国々の人々が感染の苦痛や恐怖に怯えているのをしり目に、一切の共感力を捨て去った証として」オリンピック・パラリンピックを実行するんだというべきだと思います。
万全な感染対策があるなどという幻想を振りまくのも大概にしてほしいものです。ありとあらゆる科学的知見を注いで「万全」に手を尽くしたとしてもそれは感染のリスクを下げるだけで、皆無にすることはできないのだということを発信すべき時に、万全にすれば感染は絶無になるという誤ったメッセージを発するべきではありません。 敢えて甘めに表現して「不意打ちを食らった」昨春ならともかく、「万全に対策」しているはずの今日の段階で検疫体制をすり抜けて未だに海外からの感染者は国内に入っているといわれているではありませんか。変異型のウイルスさえも。
万全の対策は努力目標でしかないのです。
世界中に勇気と希望を届ける????
オリンピック、パラリンピックを美化しすぎるのはもうやめにしませんか。
世界中に食料と医薬品と核兵器のない、戦争のない平和を届ける努力の方を優先するべきではないですか。
同じ時事の記事の中で「東京都選出の自民党議員は、海外発の中止論に『誤解を解くべきだ。科学と医療の知見を活用すれば乗り越えられる』と主張」したとありました。また「誤解」ですか。それにしても、「科学と医療の知見」の中から経済を回すのに都合の良いものだけを切り取り(菅氏は大木隆生教授と会って話し、久々に明るい話を聞いたとご満悦だったらしいです・・・・大木氏の提案をすべて否定しようとは思いませんが)、批判的な知見に耳をふさぐ安倍・菅内閣を擁護し続けてきている自民党議員にこんなことを言う資格があるのかと、私は言いたい。せめて東アジア諸国中で日本の死亡率が最も高い部類である事実に目をふさがず、他国の経験に率直に学ぶ姿勢をとることを党内世論としてほしい。
こういうことを言うのならば、学術会議に干渉し、圧力をかけてゆがめようとする菅総理を降ろしてからいってほしいと、私は思います。


- 2021/01/21(木) 00:00:14|
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