春に撮るのと、秋に撮るのと、女性はどちらがきれいなんだろうか。
この夏は、SARES-Cov2の感染問題もあったし、この人自身の身の上に大きな変化があって、撮影に機会が得られなかった。
この人も、「8月9月に撮れなかったのはとても残念だ。」と思ってくれている。そこに「何をどう撮りたいか」という考えを共有していてくれていることが感じられる。
夏に撮るのと冬に撮るのとでは女性はどちらがきれいなのだろうか。
秋になると少しずつ服を重ねるようになる。
するとその服にその人の好みや性格が浮き出てくる。
服がフレームになり、化粧になるので、その人の持っていうものが浮き出てくることがある。
画面の色をコントロールすることもできるようになる。絵の具が増える。
それは魅力的な条件である反面、素の稟質を隠したり、ごまかしたりすることにもつながる。
なかなか難しい問題だ。
「若い魅力的な女性を愛でて撮っているだけの事なのに、何をそんなにごちゃごちゃと屁理屈をこねるのだ。」と
言う人がいるだろうことは想像するに難くない。
何か後ろめたいから合理化したいのだろうという人がいてもおかしくない。
だが、 9×9のマスの中に40枚の駒を置いて、お互い生涯をかけてやりとりする将棋の世界にさえ❓りする、全宇宙・人生の根源を考察するくらいの世界が広がっている。
写真を撮ることを通じて、こうして森羅万象に通じる色々なことに気が付いたり、愚考したりする機会が得られるということは、実に有難いことだと思う。
それでこそ趣味というものだし、他人に恥じない道楽というものだ。
そもそも石本正という優れた画家の労作・仕事と、私の手慰みを同列にしてものを考えているところに間違いはあるものの、同じ人間のすることなのだから何か触発されて発奮するくらいの事はあってもいいだろう。
そしてそれもこれも写真を撮っていればこそ発送できることなのだから、私にとって写真は、文字通り、ありがたいものだというほかない。
そして、私の写真が「人を撮る」ものである以上、写されてくれる人に対しては感謝の言葉よりほかにない。
- 2020/11/30(月) 00:00:52|
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