この方、スマフォは使っていないそうです。いわゆるガラケー使用者。
私と同じです。「電話がかけられれば、他に必要がない。」からだそうですが、私も、ほぼ同じ。

世の中はどんどん、スマフォを持っていることが社会人の基本、最初の一歩みたいになってきて、何もかもここに流し込もうとしています。
Huawei は危険、TikTokは国家安全保障上危惧があるなどと言われますが、GoogleやFacebookなどがアメリカ政府との間できちんと利用者の個人情報を守っているかどうか、他国首脳や企業の秘密を盗んでいないか、五十歩百歩というか、むしろはるかに先行している疑いがあります。

考えてみれば、私が就職したころにはパーソナルコンピューターなどは夢の中の話でした。
まして移動端末などは凡人には考えられもしません。
こんな新しいものがつぎからつぎに現れて、様々な取説を読まねばならないなんてなんて面倒な時間を生きてきたことでしょうか。
それだけじっくり書物に沈潜するという生活態度が失われてきていますよね。

陶器の絵付けにしても着物の絵付けにしても、今やフィルムを張ったり、インクジェットプtりんたーが活躍したりと様変わりです。
それだけに実在的な人間の手技が人を惹きつけるものがあるのでしょう。
写真などは「外道」だった時代もあるわけで、新たな技術の発展は避けがたいものだし、また人間に可能性を切り開いてくれるものです。
ですが、変化の「程度というものがあるでしょう。」と、つい嘆いてしまいます。

個人の生活に、保守的な側面と革新的な側面と両方を具有していかないと、流れに翻弄されて自分を見失う様なことになるんじゃないかと危惧します。
私の年齢になると、もうそんなに急がなくてもいいんじゃないかと感じられてしまいます。
でもそんな高齢者の愚痴などは見向きもされずに「秒進 分歩」していくのでしょうね。
走しないと資本主義は沈んでしまいそうですから。
- 2020/08/12(水) 00:00:41|
- 工芸
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