この時は85ミリを付けていましたが135ミリが欲しいと思いました。ミノルタのAマウント135ミリ F2.8・・・ないかなあ。
なんて雑念を入れているとここぞという瞬間を逃がします。 写真の場合は何時でもそうですが、すべての瞬間に「一期一会」で、二度と同じ瞬間、各要素の組み合わせには出会わないのですから、せっかくいただいた機会はとり逃さないようにしないといけません。
下の写真はよく撮れた方だと思います。自画自賛。

これはとてもとても残念な写真。
もう一枚とてもよく似た写真がありますが、こちらの瞬間と構図で決めないとダメでした。
わずかな心の準備の遅れがこういう惜しい結果を生みました。


それでも、こういう写真を撮った時、写真をやっていてよかったなあと思いますね。
昨日の竹細工の人の時もそういう瞬間がありましたし、金属工芸の青年の時もありました。
やっぱり写真でないとできにくいことはありますね。

これは額の光と「面」の角度と指の見せ方とのせめぎ合いでした。
判断が遅れると、この全てが変化して、絵にならなくなります。

能動的に見なければ写真はとれない。

写真撮影の入門書やそういうことを解説するユーチューブの動画でも、もっとそのことを強調してほしいと思います。
写真は見て撮るものですから、もっと見ることについてこだわって語ってほしいなと。

獅子が誕生するまでにはこんな風に仏師に抱きかかえられて為すがまま・・・というところが面白いですね。
どんな有難い、阿弥陀様でも、文殊様でも、みなそうです。
でも完成して人の前に出ると、これを作った人を超えてしまう不思議。
そして人を超えて存在するものを作る人がいる。 おもしろいなあ。
- 2020/07/17(金) 00:00:22|
- 工芸
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