私は、学生時代には大学の外にはほとんど出ませんでした。
サークルをしていなかったせいもあるのですが、生来の出不精で、というより世間が狭いのです。それは今でも大して変わっていませんが。
大学の外と言えば、ほんの少しのバイト先とデモ行進のコースばかりでした。
それでこの人のような、若いうちから多くの人に出会い、話を聞き、多様な経験をする若者が羨ましくて仕方がありません。

音楽活動がそういう活動範囲を切り開いていくのでしょうね。
私の場合、人との出会いと言えばわずかばかりの本を通じての著者との出会いですね。
音楽の場合はスコアを通じて作曲家との会話をするでしょうし、こうしたアンサンブルや・・・この人は交響楽団に属していますから・・・楽団のメンバーとも濃密なやり取りがあるでしょうね。

こういう活動を通じて、人生の大先輩たちと交流するなんて、私なら考えられませんでした。
父親は、せっかく京都に行くのだから、名刹の高僧と話をして来いと言っていましたが、まるで雲をつかむような話で、大学の先生の研究室にさえ入るのがはばかれるような意気地なしでした。

ある時など、私たちが企画した講演会にお招きした北大の先生…その方は著書に触れて、ずいぶん憧れていましたので・・・を会場にご案内するにも、影さえ踏めないという感じでした。
それにしてもこういう気質は、時を経て、ある程度図々しさを身に着けたつもりでも、あまり変わりませんね。

ですからこういう青年たちは眩しさを感じます。
わたしはバランスの取れた自己肯定感を身内に形成するのに随分長い時間がかかっているのです。 ここは現在完了形・継続ですね。

それで、こういう時には音楽演奏とともに青春も撮りたいなあと思う訳ですね。

私の写真は、そういう訳で、何時もないものねだりです。
- 2020/06/30(火) 00:00:24|
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