今日は雨が降っています。
昨日は暑くはありましたが気持ちの良い空気の流れがあって、昼寝には最適でした。
このところ暑い夏に向かうためにマスクによる熱中症が心配されていて、盛んに「こんな時にはマスは不要」と言われるようになっています。
でもその「こんな時には」という条件は、SARS-CoV-2についての知見が蓄積されて新たなことが分かってきたからでなくとも、分かっていたことが多いと、私には見えます。
一人で自動車を運転しているときやフルフェイスのヘルメットを被ってバイクに乗っているとき、前後左右10メートルに人がいない場所での散歩やジョギングをしているときなどにマスクをしている人を見ると、私には滑稽にさえ見えました。
SARS-CoV-2が恐いという気分感情が随分増幅されてきました。無論それには必要な面もありました。
それでマスクをしないと、警戒心がない人、人への気遣いがない人、国民みんなでつらい事を我慢しながらがんばっていることに協力しない「みんなで取り組む」を乱す人、政府の呼びかけに従わない非国民、・・・・に見られるのではという不安もあるかも知れません。
ともかく、こうしておけばよい(文句は言われない)というラインの内側にいることで批判されない自分でいるという精神の現れかもしれないと私には思えました。
それで暑くて呼吸がしにくい、頭がボーとする、眼鏡が曇る、汗でべたつき肌が荒れる・・・・なんてことがあっても、自ら考えてマスクを外すことができない。そんなことをすれば「勝手なことをしている」という視線を感じる。そういう視線を既に内面化してしまっているのではないでしょうか。
(学校が再開されて、子供たちの受け入れのために、あるいは毎日の感染防止のために様々苦労されている現場の様子が伝えられることがあります。教職員の皆さんには本当にご苦労様だと思います。が、この学校には理科の教員はいないの?保健を教える体育の教師はいないの?と思わせる滑稽なというか危ない場面を見ることがあります。
川でおぼれている人がいても、岸から手を伸ばして救助すると「2メートル以上距離を保てないから感染する」とか、抱き上げるようなことになれば「濃厚接触」になるとか、浮き輪を投げるときにまず「アルコールで消毒」してから・・・とか・・・そんな風になりかねない?!
子供食堂が開けない、自宅に自粛している期間が長くなってDVが頻発・深刻化しているときに、SOSを発している子供に「直接対面して話を聞けない」、独居老人が食事にも事欠いているのに、訪問しても窓の外から様子を見る・・・などなど 本末が転倒している事象も多く見られます。これはマスクをするかしないかの話ではありませんが。)
政府当局やNHKか何かが、こういう時にはマスクを外していいですよと言ってくれないと…基準を示してくれないと…そのまま息苦しくて倒れても「死んでもマスクは外しませんでした。」になりかねないなと思います。
感染しても検査も治療も受けられないという政治の貧困が背景にあるからこその発想なのだと思います・・・・が、それだけではないとも思います。
周囲の視線を意識して自主的に思考し行動することができない・・と、そういう弱点が私たちにありはしないでしょうか。
そういう思考には科学的知見に謙虚に学ぶということが含まれていなくてはなりませんが。

- 2020/06/18(木) 10:28:02|
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