「菅義偉(すが・よしひで)官房長官は1日午前の記者会見で、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、6日までを期限としていた緊急事態宣言延長の意向を安倍晋三首相が表明したことに関し、『ゴールデンウイーク(大型連休)だが、今緩んでしまっては、これまでの努力が無駄になる。引き続き外出の自粛にご協力をたまわりたい』」と呼びかけた
」(産経新聞5・1)そうです。
私はこうした思考法は時にとても危険だと思います。
その思考方とは「これでの努力が無駄になる。引き続き・・・。」という思考です。
ここで何が問題かというと二つあります。
一つは「これまでの努力」が正しい方向に傾注されてきたのかという事です。「これまで」とは全国の小中高校の一斉休校以来政府が国民に補償なしに自粛を求めてきたことです。さらに付け加えればPCR検査の異常な抑制に端的に表れているように、感染していたとしても既存の医療機関で対応できないモノは切り捨てるという『人命軽視』のやり方と、国民に事実と科学的な見識を公開することなく、国民に対して「依らしむべし、知らしむべからず」を通してきたやり方です。
こうした誤った、しかも国民を愚民視する政治の「これまで」は、結果として「非常事態宣言」によって何がどう変わったのか、変わらなかったのかが少しも明確ではありません。だからこそ科学的な総括の無いまま「引き続き自粛に協力を」求めるのは間違っているということです。
「自粛」に効果があるのかないのかが実証されてもいないのに「引き続き」求められることを国民はなぜ納得しなければならないのでしょうか。
私は、おそらく、感染者は毎日TVで報じられている数の数倍、あるいは10倍以上にのぼるという議論に共感します。それでないとつじつまが合わないことがいくつもあるからです。
(「神戸市立医療センター中央市民病院(同市中央区)の研究チームは、4月7日までの8日間に外来を受診した患者千人の血液を検査したところ、約3%が新型コロナウイルスに感染したことを示す抗体を持っていたと2日発表した。」(神戸新聞 5/2)調整値は2.7%。神戸市は約150万の人口、京都市はほぼ同じ規模。そうすると約4万人がすでに感染したことになる。 京都市の感染者数累計は220人(5/2)。こうなると10倍だとか20倍だとかではなくて100倍でも足りないことになる。)
この「反省無き継続」「根拠なき動員」というのが、大日本帝国が人類史上に残した汚点、侵略戦争を拡大し、ついには敗戦、諸外国軍によって占領されるという事態もたらすことになりました。
ここで二つ目に注目したいことは「これまで」と「引き続き」を結ぶキーワードです。
それがこれを継続しないと「努力が無駄になる」です。この努力が本当につらい努力であればあるほど人々はこの「努力」を「無駄」にはしたくない、そもそもそのことが「無駄」なことであってほしくない≒意味のあることであってほしいという思考に流れます。
すでに多くの皇軍兵士の血が流されてきた、これを無駄にすることはできないとして戦争指導の誤りや相手国、勢力の力を見誤ったままに、その敗北や苦戦の原因を冷静に、科学的に総括・反視しないままに、同じことを一層エスカレートして「無駄にされた努力」を回収しようとするのです。それが展望なき戦争拡大でした。
私は「努力が無駄になる」は国民への脅しと責任転嫁の言葉だと思います。
そうしてさらなる努力へと国民を追い込むことで国民の視野を狭め、本当はどこに、何に、誰にどのような問題があるのかを冷静に考えられないように、何をするべきかに気付けないように誘い込む呪文なんだと思います。



- 2020/05/03(日) 14:13:08|
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