
小中高の一斉休校を要請した時に安倍首相は「これからの二週間が感染を広げるか否かの瀬戸際」だと言っていた。そこで大変な瀬戸際だというから突然の一斉休校にも多くの国民は様々な困惑や大きな負担を甘んじて受け入れてきた。
しかし、結果その「瀬戸際」なるものがどのように変化したのかしなかったのかが何も説明されていない。知らされないまま、このまま推移すれば「オーバーシュート」になるという理由で「緊急事態宣」発出を受け取らざるをえなかった。TVなどのマスコミによって武漢やイタリアなどの深刻な姿を繰り返し、繰り返し見せられていたから、「あんな風になってもいいの?!」と言われると、思わず「大胆で徹底した規制」をしてほしいと国民の方からも言い出す空気が高まり始める。良心的識者もそう言っている。
そして、今やだれが一番徹底した「緊急事態」的制限を宣言するかを競い合っている感がある。
ここではっきりとしておきたいことがある。
私たちは感染の実態や医療崩壊の寸前であることの実像や何故マスクやアルコール消毒液がいまだに店頭に現れないのかという事情や、どうして新たに病院が建設されたりしないのかということについて知らされないままに事が進んでいるということだ。(病院の建設などこの緊急時に何を言うのかと言われるかもしれないが、感染の終息までにこれから1年も2年もかかると言われています。中国のように2千床の病院を二週間とか三週間で建設することはできないにしても、一か月とか二か月で建設できれば大いに役立つはずです。)
毎日発表されている感染者数は市中感染の様子を表す数字ではない。あくまで重症者を検査したうえでの限られた母数のうちの感染者数だということだ。そうであるのにますます増えているとか、他国に比してどうだとかいう議論が成り立つはずもないのに・・・比較できる数字ではないのだから・・・果てしなく議論がされている。その数字に基づいて政策が決められている。暗中に猪突しているのが今日の状況なのだ。
知事たちは毎日のように感染者数を発表している。
が私たちが知りたい問題はどれだけ隔離用の部屋とベッドを確保したのか、どれだけ広く検査をしたのか、そしてその数は? 医療スタッフの集まり具合はどうなのか、マスクや防護服の調達の進行はどうであって困難はどこにあるのかなどなどの情報と、行政として何をしているのか、できているのか、できないでいるのかということだ。
ただ自粛の程度を強めるのかどうかばかりが問題ではない。住民は単に行政サービスの対象ではなくて地方自治の主体・主人公なのだから、住民に行政の実態を報告するのは義務だということが少しも分かっていない。「公僕」として主人(国民、都道府県市民に)に対して「ホウレンソウ」をするのは当たり前なのだということでもある。
「太平洋戦争」に突入した時の日米の生産力の比率は日本を1とした場合に、石炭で9.3倍、石油で527.9倍、鉄鉱石で74.0倍、鋼塊で12.1倍だった。軍艦を作るにしても飛行機を飛ばすにしてもこれでアメリカに挑むのがどれほど無謀なことかよく分かる。「大本営」の情報操作と目隠しで「進め一億火の玉だ」と「必勝」への道を強制された国民ほど悲劇的なものはない。
一体いま市中感染者はどれくらいの割合なのか。学校を一斉休校させることで何ができたのかできなかったのか、またその余波として何があったのか(学童や保育園では感染は広がったのか広がらなかったのか。そしてそれはなぜなのか。子供食堂の閉鎖は子供たちの栄養状態や心理的な状態をどう変えたのか。親たちの生活はどうなのか。)
我々には何一つ知らされていない。マスコミもそういう取材をしていない(?)
もっと多角的な情報が知らされるべきで事実を隠してはならない。
国民の目と耳をふさいでおいて緊急事態をもてあそぶことは許されない。
- 2020/04/10(金) 14:49:06|
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