いくつ作っても同じように作ることができる。
だからと言って型にはめて作るわけではなく、また機械で作るわけでもない。
同じなのだけれど、違うという矛盾したモノづくり。
職人の技は不思議だ。

写真を撮るときに手わざに注目して、指先に焦点を当てることがあります。
あるいは、その手技を駆使する職人さんの指先や材料に対して集中する気迫ある表情に
またそういう集中する緊張は全身が統一的に連動してこそ現実化されるので膝や肘や、首・頭部や背中など姿態を
更にはその作業の場の持つ積み重なった「技」を支える空間とその人の在り様を
そして、そういう職人さんの姿態や表情を・・・例えば…日本画に見られる造形に寄せて・・・
更には生み出される作品の感動的な出来を通して職人を語る・・。
写真を撮るという刹那に選び取られる方向性はもっともっと多様にあるはずです。

そうしたことを考える訓練を自分に課さないと、この暗さで、ともかく撮るためには・・・・などというようなところで終始してしまいます。

「スタディ、ステディ・・・プラクティス、プラクティス 添えrが写真には是非とも必要だよ。」とおっしゃるドキュメント写真を撮られる写真家がおられます。
そのスタディなりプラクティスの中には絞り設定やファインダーを覗いて、その瞬時に構図を判断することなどのことのほかに、上記のような選択を繰り返し繰り返しスタディすることが含まれていると私は思ってその話を聞きました。

人以外の被写体を撮る方たちもまた沢山の選択肢の中から選び取っているのだろうと思います。
が、「人を撮るのは難しいでしょ?!」と尋ねられて「そうですね、やはり難しいと思います。」と答えるときに、つい話し損なう内容です。

他と比較してということではなくて、やはり人を撮ることは難しい、奥の深いことだと思います。

もう一息で1600人ですが、「スタディー、スタディー・・・・プラクティス、プラクティス」がどこまでも続きます。

ああ、一寸も進んでいないなあと嘆息しながら。

☆「ためしてみたこーなった」さんへ 返信ができませんので、ここから失礼します。
「どうぞ。今後ともよろしくお願いいたします。」
- 2020/03/25(水) 00:00:12|
- 工芸
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