人の指の繊細さは労働の歴史が作り出した。それで精緻な工芸品もできるし素晴らしいピアノ演奏もできる。
その繊細さは動きの繊細さでもあれば、センサーとしての繊細さでもある。
職人の指は、研ぎあげ研ぎあげた木の表面や金属の表面の凹凸を電子顕微鏡並みに感じ取る。

唇だって木器の滑らかさから陶器の滑らかさガラス器の滑らかさ、木器の温もりから金属器の冷たさを感じ取り学習して実に繊細なセンサーとなっている。
これもまた様々な器を作り出した労働のなせる業であって、人類誕生以来の能力ではない。
室町時代終わりころに海外から木綿が流入して国内でも木棉が栽培されるようになり普及すると日本人の肌感覚もまたより繊細になった。
それ以前の朝や絹の肌触りしか知らなかったにとびとが木綿に柔らかくて暖かい吸湿性の良い質感を学習した。これもまた労働の成果で生得的なものではなかった。ただまあそういうものを学習できる潜在的な可能性はもっていたという事は出来はするけれど。

するとそうして獲得された鋭く繊細な感覚を前提として、さらにいっそう精緻なものを作る要求が生まれてくる。
こうした器もまた、唇にどういう感触を生じさせるのかを想像して制作されるのだろう。
滑らかさを感じ取る感覚的なの力は同時にざらざらとした肌合いや素朴さをも多様性の一として楽しむ能力としても存在する。

人間の能力は欲望と同様歴史的に発達するものであり、人々の感覚や能力を高めるうえでこのような職人の技や芸術家たちの労作、また生産現場でも人々の労働の質が大いに関係する。
相互に作用しあって人類は成長してきた。

自然や社会、あるいは人を見る目だって同様だ。
芸術家、作家たちはその人類の自己教育のサイクルの中で貢献したりできなかたtりしているわけだ。
それは『・・・家』だけではなくて、アマチュアの営為も同じこと。

私はギャラリー巡りをするときにそういう意識を持てプロ・アマ関係なく見せてもらうように心掛けている。

私たちの制作・労働はこうした人類の活動の循環の中にあるのだけれど、それを意識する人は必ずしも多くはない。
せめて「プロ」を名乗る人にはその自覚を持ってもらいたいものだと思っている。
- 2020/03/24(火) 00:00:34|
- 工芸
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0