お知らせ
今日6日(金)から8日(日)まで京都木屋町仏光寺下がる辺りにあるギャラリー高瀬川四季AIRで写真展をします。
主催は私ではありません。「高瀬川ききみる会」です。が、展示写真はすべて私が撮ったモノです。
「高瀬川界隈の素敵な人たち」です。 高瀬川界隈に働き、住み、遊ぶ人たちを撮りました。
高瀬川にかかる仏光寺橋(四条通から南に歩いて6~7分でしょうか。)から下流を見て右手の建物の並びにギャラリーがすぐに見つけられます。
もしついでがおありでしたらぜひお立ち寄りください。お待ちしています。 蒼樹 この日は比較的暖かな日でした。
もう春ですから、・・・・たとえCOVID―19の広がりがあったって・・・・・少しずつ鴨川に出てくる人は多いはずです。
ここは狭い空間に人々が密集し、換気がされない場所・・・ではないですしね。

それに感染の広がりを予防するにはまず手始めに「歌舞音曲」を自粛させるという様な、どうせそういう分野は「遊び」だし、必要不可欠とも言えないという様な文化感にも起因した発想じゃないかと、私などは穿っているのですがね。

国民が「外に出ちゃだめよ。」と逼塞して、どこまで心理的に耐えられるか。
こういうことは「耐え」ちゃダメだと思います。 国民の平均的な免疫力を衰弱させる悪しき発想だと私は思いますね。

「欲しがりません、勝つまでは!」「勧め一億国火の玉だ!」的なスローガンは、それを発している人たちと、真に受けている人とでは、意識も生活もまるで違います。
御覧なさい。安倍政権の大臣たちを。自身は安全な場所にいて欠乏も何もないのですから、対策本部の会議には新年会やら表彰式やらで欠席するし、会議出席は、陣頭指揮のはずの首相だって自分の言いたいことを言ってテレビ向けのパフォーマンスが終われば十数分で退席。夜はお友達を飲み食いの会。

しかも「自粛要請」ですから、
自粛を判断したのはあなたでしょ?!命じたわけじゃないからね。賠償だ、補償だと言われてもね。となるに決まってるんですから。
まあ野党が懸命にその辺の追求をして、政府の逃げ道をふさぐ努力はしてくれてますが、国民の突き上げがないとね。

それはさておき、「家で一人で歌っていても面白くないですから。ここに来れば色々な人と話ができますし。」
なるほどそうですね。現に私のような変なおじさんも声をかけるのですし。
安倍氏は言います。「国家的危機にあっては与党も野党もない。お互いに協力して乗り越えていかなければならない」と。
私はこの言説には全く賛成できません。
第一に今私たちの前にあるCOVID-19の広がりが「国家的危機」などとは言えないと思うからです。少なくとも国民経済がそれによって深刻なダメージを受けている、あるいは現実に確かめられる可能性がある、国民の健康と生存が極めて深刻に危機に瀕しているなどとは到底言えません。感染者数、不幸にしてお亡くなりになった方の数。不謹慎ながら阪神淡路の震災や東北の津波・原発事故の被害者の数と比較してもはるかにそのダメージは小さい。
また数年ごとに発生する季節性のインフルエンザの感染者とそれによって重篤になった方、死亡された方の数に比べて格段に多いということもありません。(2019/12/30~2020/1/5のインフルエンザの1週間当たりの推定患者数は約392,000人となり、前週の値〔約880,000人〕よりも大きく減少しました。2019/9/2~9/8から12/30~2020/1/5までのインフルエンザの累積の推定患者数は約3,477,000人・・・感染症〇予防接種ナビより改作)今後感染が大きく広がっても「国家的危機」と表現するのはためらうべき規模であろうと思います。「大きく広がる」にしても日本の現医療体制や医学的な知見をもってすれば、これに対する対策の巧拙によって被害の上下に振れ幅があるとしても、必ずや収束させられます。被害を最小にしたいと念じることについて私も同じであり、私もまたより良い対策が講じられることを願うものの一人であります。ですがこんなに膨張誇大な言葉で事態を表現する必要は全く感じないのです。
第二に、この「国家的危機」という言葉によって「与党も野党も」その違いを溶融させて挙国一致させるということを当然視することはなお一層危険なことだと思います。野党は協力するところは協力しつつもやはり与党を監視しなくてはならないのです。
一例を上げれば今回の小中高の一斉休業はもし学校に通っていれば学校で全校生徒の健康状態を日々把握してその調査結果を集約できる、(生徒が欠席すればそれもまたただちに先生が保護者と連絡を取り合って状況を掌握できる。そうすれば医療機関の情報収集とともにダブルチェックできるのに)その有力な方策を非効率なものにしてしまいました。これをとにかく走り始めてしまったのだからそれを前提として協力せよということになれば、もはや戦争は始まったのだからあれこれ言わず、足を引っ張らないで勝たなければ仕方ないといった論法と同じことに陥るのと同じであり、思考停止を国民に求めることと同日のことになってしまいます。
ですから、決して野党も与党も「ない」のであってはなりません。ましてや今の安倍政権のもとでは・・です。
世耕弘成氏「今は批判とか糾弾をしている段階ではない」(NHK日曜討論会)
「国家的危機」という言葉は人々の理性を痺れさせやすい言葉です。人々の思考停止を招きやすいのです。また、非常事態だといって政府や自治体が画一的に国民・住民の自粛や「皆さんの『一致』」を求めることで容易に基本的人権を制約できる空気が醸成されます。残念ながらに我が国の民主主義・人権の実態は、こうしたことに対して批判精神を持って自主的に判断するよりは大勢に「忖度、順応適応」する意識的傾向によって常に不安な状態にあります。大政翼賛的なマスコミの実態を加味すれば、なおのこと警戒しなくてはなりません。
危機認識も一致しないし、それに対する方策論も一致しないというのが現実的です。ですから、事態は常に、当面の、やむを得ない妥協で事を進めるのだということを厳しく自覚しなければならないのであって、そのことがなければ「新たな別の国民的な危機」が生じることを危惧しなければならないと思います。
私は最大限に警戒したいと思います。
- 2020/03/06(金) 00:00:35|
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