ピアノ、ギター、サックス、ドラムスの伴奏体制です。
ボーカリスト(ソリスト)も良い伴奏者に恵まれないと思うような表現はできないでしょう。
その点今回のステージは態勢万全という感じです。

川口さんコンセプトが明確ですからでしょうね。
彼女が思い切って表現できるように伴奏者が支えています。

一緒にCD制作をした仲間ですからお互いから率直な意見・要望が出ています。
それで、一層川口さんがこの人たちに安心して依拠できる空気を作っているのでしょう。

彼女のファンが、こうした写真を見て「写真集ができるんじゃない?!」と川口さんのFBのコメント欄に書いていましたが、それも悪くないなあと思います。
そんな機が熟せばいいなあ。

川口さんのほかにも写真集にまとめてみたいなあと思う人が幾人かいます。
会場を借りて個展をするよりも安価にできるかもしれませんし。
でもそうなったらどうやって人に知ってもらうんでしょうね。
インスタグラムでしょうか。 私やってません・・・それじゃあダメじゃないですか。
いつもリュックに入れて行商でもしますか。

日本は急速に「貧すれば鈍す」の方向に落ちてきていますから、「タダより安い物はない」になってきていて新聞は読まれないし本は買われないし・・・・・・・写真集などに見向きもしないかもしれませんね。
ましてや私の写真集では。

でも紙媒体にして残したいなあという思いは「かつ消えかつ生す」んで、私の胸の内をよぎります。
第3次の5カ年計画に入れてみようかな。
さて、はて。

大学時代の後輩がメールをくれて「ブログ、粛々と更新されていますね。」とありました。これを受けて私としては、M君はどうも私のブログについてあまり好感をもっていないようだと感じて凹んでいます。
「粛々と進める」のは「世間から非難を浴びている悪事を面の皮厚く平然とどこ吹く風と進める様」の意味ですよね。そのように言葉の意味を「閣議」で、いえ内閣の日々の行いを通じて変更したのはご存知の安倍自公・維政権です。
あの可哀想な「忖度」は、もともと決して悪い意味ではなく「相手の気持ちを推し量ること」でした。が、「阿諛・追従」というより適切な語彙が日本語にあるにもかかわらずその席を押し付けられてしまいました。それで「相手の気持ちを推し量る」という意味ごと「忖度」が変身させられてしまい、その結果、日本国中の人々から人間同士の共感力としての「忖度」ができる力が消失させられてしまいました。それで今や、皆様ご承知の通り、あちこちで人々の狭量な衝突、いがみ合いばかりになってしまいました。それもこれも安倍自公・維政権の「功績」です。「功績・功労」というのはどうも自由な応募の事らしいので「自由勝手にすること」とほぼ同義です。
安倍晋三氏は日本の立憲主義・法治主義をメルトダウンさせていますが、人々の健康も経済も・文化総体もメルトダウンさせてしまっています。
「国難とは、安倍さんあなたのことだ!」という言葉。私はそれをどうしても否定できません。
- 2020/02/26(水) 00:00:58|
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