ネガティブな現象としては中国武漢で発生したコロナウイルスの蔓延が世界規模で広がっています。
こういうことについて日本一国は安全でいよう、などということは、今日の世界では無理というものです。
こういうことについて「中国は迷惑」という心理に駆られる人が多くて、政府もそれを熱心には止めようということに尽力していないのですが、ウイルスの変異は世界のあちこちで起こっているのですから、またどこで新たなウイルスによる感染が広まるかわかりません。
その地域の医療体制が不備であったり人々の生命や人権に大対して脆弱な耐性であったりすると、それが多くに人の命を失わせることに繋がりますし、また各国との装具の壁が高ければ早急な国際的対応ができずに後手後手に回って被害を一層大きくしてしまいますします。対岸の不幸を笑っていると結局自国の人々の命も危うくする、それが21世紀というものです。
ということで、20世紀21世紀は世界はさらにさらに緊密に繋がるということを言いたかったわけです。
その一つの現れが、こんな私の目の前に、カメラの前にフィンランドの若者がいるという事ですね。

私はこういう人類史の到達点の意味を哲学、思想として国民が握っていない弱さ、それが日本には強くあると思っています。
政権党の諸君も同じです。
それで今日の世界に合って日本はとてもこれからの世界を語るに足りないと思われているのだと思います。

国連の会議場で安倍氏が演説した時の議場の空席状態は、もう何といえないくらい惨めなものでしたね。

まあ、それはともかくとして、こうして海外の人たちに接して、わずかでも交流ができるのはありがたいことです。

この観光都市京都にある見えない幕、中国や韓国の人々に対する見えない幕とを取り払う意識的な努力をしないで、ただただそのもつお金にしか興味がないという状況を一日も早く打ち破りたいものです。

150年たっても「脱亜入欧」じゃ困ります。
アジア諸国(民)に対して傲慢不遜な分、欧米諸国(民)に対しては・・・・・。

いろいろ未だに島国根性が抜けないのでしょうかね。

- 2020/02/03(月) 00:00:37|
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