私はこの人に初めて出会ったのは、もう7年余り以前になるのでしょうか。
お互いの記憶を紐解くとどうやら3年や4年でないことは確かです。
私の最初の個展のDMがこの人の写真でしたから、やはり「はじめまして。」は7年は前の事です。

以来、細々と、しかし確かに交流は続いているわけです。
昨年秋の終わりころにも会っていてこのブログにもアップしています。
つまり、会う≒撮るになっているわけで、いろいろ近況などをお互い話すわけですが、もう同時にリュックからカメラを取り出している・・・、そんな感じです。

私がカメラを取り出して、周囲を回りながら「うん、これがいい。」とか「よしよし。「こうじゃないなあ。どうも違う。」なんてぶつぶつい言っているわけです。
おしまいに「どうもありがとう。」というと「いえ、ずっと作業をしているだけで、そちらで『いいなあ。』とか『もうちょっと。』とかいうけれど、私は何もしていないので・・・・。」とおっしゃるのです。

五月の蠅のように周囲を回ってお邪魔していることを許してくれているだけで十分有難いわけで、そのうえ、慣れてくれているために作業に集中してくれるていることが有難いわけです。
そして、実は、いつものようにしているだけで何もしていない・・・・のではなくて、私が撮っている間、意気を抜かずに作業と続けていてくれる…そのことが私への配慮なんです。それはご自身のペースじゃないので、実は幾分は負担とかいらない緊張とかがかかっているんだと思います。

それでも普通にしてくれているという事なんですね。

私は案外しつこいのですが、気兼ねなくしつこくできることも有難いわけで。
いや、ときどきやり過ぎて申し訳ないことになっているんですが。

今度来た時には向こうにおられる仏師さんにお願いするつもりなんですが、その方ももう何度も撮らせていただいている方です。
今年のグループ展には「職人」さんをテーマに出そうかなとも思っているので、「またご無理をお願いします。」と予告させていただきました。
私はこの人のきりっとした横顔が好きなんですね。

麻生副総理の成人式でのスピーチが話題になっています。その内容に何か言う気もおころませんが、この人を呼んで新成人に何か話をさせようと考えた主催者がそもそもおかしいのです。麻生氏については今更何か呆れても嘆いても仕方がないくらいのものだ。ただただ国会議員として不適任だからやめたほうが良いとしか言えない。
成人式についてぜひ言いたいのは、なぜ市長や議員が大きな顔をしてスピーチをしたりするのかということに疑問を持たないかという事です。
式が終わっての集合写真でこの日の主人公の新成人を背景にして「お歴々」が真ん中に堂々とおさまっている図を当然としているような式がまだやられている。こういうことを無反省にやっている行政の人間に新たに大人の仲間入りをする人たちに未来に向けたメッセージが送れるとは、私は思いません。鎮座している「お歴々」も同様です。
行政区単位でこういう式を行うのは、今やそれに代わる共同体がないから仕方がない面をもちますが、しかし大人になるかならないかを法的に「成人」扱いするかどうかを基準にして法律が、行政があなたたちを大人と認めるという「令」の精神でやるからいけない。だから押しつけがましい説教をしたくなる。
すでに選挙権が18歳から認められているし、税金は子供のころから払っているし、それなのに酒が飲めるタバコが吸えるという卑近な基準で「大人になる」ことの線を引いている人がいたりして笑えてしまう。大人になるってどういう事?
もしやるなら小学校区でやったらいいし、是非、新成人たちが実行委員会形式でやってほしい。
実行委員に選ばれた人には特別有給休暇を認めてあげてほしい。
そしてそこにいろいろな職場で、ボランティアで・・・・活動する先輩が参加するといいなあ。そういうのも新成人の実行委員会がお招きする。後輩たちから招かれた人は職場に届を出して特別有給休暇にしてもらう。(これは高校くらいからのつながりがないと難しそう。)
ある府立高校では長年「二十歳の会」をしていましたが、その方が意味がある。自分や友人の成長や悩みを確認したり共感しあえるから。
- 2020/01/15(水) 00:00:40|
- 工芸
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