ボイラーのある広い部屋に摸は既に高く薪が積まれています。
そこにさらに積んでいくのですが、闇雲高く積めばいいってもんじゃなくて、ボイラーを焚くスタッフが材木を撮りやすいような高さと傾斜で積むのです。
それができないと「苦情が来ちゃうんです。」

街には晴れ着の人や初もy出に行く人帰る人がたくさん行き、来しています。
美味しいものを食べておいしいお酒を飲んで・・・・・ご機嫌な人もいるでしょう。
何しろまだ正月四日ですから。

正月だし朝から昼から風呂に入ってさっぱりしようかなんて人もいるでしょう。
そういう人たちのために裏手ではこうして働く人がいるわけで・・・・・。

私のブログも初心は働く人々なんですが、なかなかそのチャンスがなくて・・・・・。
でも、私の写真活動をより意味有らしめるためには、一層意識してこうした人たちを撮りたいものと思っています。
こうした人たちこそ、私の仲間ですからね。

昨年暮れから正月四日まで、これまでになく「家族で過ごす」時間がありました。
それは「人生というのはこういうものなんだろうな。」と感じさせてくれるものでしたし、車寅次郎氏が「ああ、生まれて来てよかったなと感じるときがある、そういうことを感じるために人は生きてるんじゃないの?!〈大意)」
です。
これを称して人は「小市民的幸福」と呼ぶのでしょう・・・・・が。

そして山田洋二氏は東京の街ゆく人を眺めて「生活に不満はないのじゃないかな。でも幸福かどうかは・・・・。(大意)」と泉さんに言わせています。
そういう問題意識を持たないところに日本の人々の不幸というか病弊というか、「羊的」という、そういう在り様があるのだと思います。
今年の写真活動の中にも通すべき筋をちゃんと意識たいものだと思いました。
- 2020/01/06(月) 00:00:44|
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