カメラをもって「どこかに、誰かいい人いないかなぁ。」と歩いている訳で、今年はどんな人に会えるのか、楽しみですね。
まあ、出会う人全部と「馬が合う」という訳ではないのです。
以前も書いたことがあるのですが、私はことのほか人を受け入れるワクが狭いので、人との交わりは極めて難しいのです。こういうのを世間では「狭量」と言うのでしょうね。
とにかく偉そうな人、自己中の尊大な人は嫌いですから、最近もFB上での友達関係を絶った人がいます。
この点は自分でもそこまで過敏なのは問題じゃないかと、せいぜい自分をなだめたりすかしたりしているのです。が、いかんせんこればかりはこの年になるとどうにもならないのです。そういう人によって人生を摩耗させられるのはもう勘弁願いたいですからね。

ですが「逆にこの人は」と思うと相当入れ込んでしまう傾向が無きにしも非ずで・・・・こちらの方もちゃんと手綱を引き締めないといけないのです。

ただ世の中には本当に好人物がいるのでして、こうした人柄がどうして育つのかと実に不思議な感じを受けることもあるのです。
そういう人に会うと、ただ傍でボーッと眺めて、おかしな言葉ですが、鑑賞していたいような気分にさえなるのです。

人と出会うのはその人の人生の過去と未来を結ぶある瞬間、ある時点で出会っているわけですから、いろいろな物語がそこに含まれているのは当然です。
ことに若い人たちは未来へ未来へとむけて扉を開いていこうとしているわけで、傍らにいてみていてもワクワクさせられることがしばしばです。

ましてこうして海外に来てプロミュージシャン(には限りませんが)として活動しようという「野心」を持つことができる人たちには脱帽しかないのです。
こうした人たちが私の停滞する精神を時々賦活させてくれるのです。
もっともそれは必ずしも実年齢が若いか、否かにはよらないのではありますが。
それにしてもこの人は外見上の魅力は言うまでもないのですが、そればかりでなくて、人柄としても実に惹きつけるものを持つ人なんです。

それでこういう人との出会いによって、私の狭い狭い料簡を、こうしてときどきノックしてもらうのです。
- 2020/01/07(火) 00:00:07|
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