毎年思うのですが、正月二日になると、もう二日じゃないか、あの「新年明けましておめでとう。」という感慨はなんと足早に行ってしまうのかと。
いわばもう普通の日になりかかった・・・・と敢えて言わなければ、本当にある月のある日と同じような普通の日になってしまいそうな・・・・第2日目です。
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どうです、この笑顔。
自負と覚悟に裏付けられた笑顔とでも言ったらいいのでしょうか。

こういうお店ですし、その若主人ですから様々な媒体の取材を受けてきただろうし、撮影をされてきただろうと思います。
多分、そうだろうと思います。
だからというのではないのでしょうが実に自然体です。
私が撮っているこの時には、私には有名店でたくさん取材を受けているだろうなあなどという、そういう気付きは全くなくて、ただただ料理人さんを撮れる愉しみといった感じで撮っていました。

本当は無知ではいけないのでしょうが、私の場合「知らぬが仏」が功を奏することがよくあるのです。
世間がえらいと言って持ち上げているような人に向かうと自分を卑下してはいけないと変に力んでしまったり、あるいは実際に感心してその敬意が嵩じて身を固くしてしまうからです。

別の角度から見ると、これまで1500人余りの方に出会って、なかには何人か叙勲者やら、その道の「お偉いさん」という方々にもお会いして、成り行き任せに写真を撮らせてもらいながら、少しずつ耐性が培われているのかもしれません。
要は図々しくなることができるように「成長」したという事でしょうかね。

私の「五カ年計画」の課題でもありましたしね。 今一歩図太くなることが。
さて京都の中の京都っ子であるこの若主人。
多分、聞き間違いでなければ2021年に復活する計画の祇園祭の鉾「鷹山」の囃子方もされていると言います。これまた間違っていたらごめんなさいね。
京都人であるということは実に重層的に京都人であり、伝統文化に対する深い教養と磨かれた感性と、そして京都を職において、又、一人の町衆としての生活においてその過去から未来へ継がれていく時間を担うことが欠かせないのです。
その奥行きと深みをもつものだから、京都人とは一筋縄ではお付き合いできないと言われてしまうのかも知れません。
京都人おそるべし…なのです。
- 2020/01/02(木) 00:00:03|
- 料理
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