編んで行く上で大切な点は横の銅線の上下の間隔をそろえることだそうです。それができないと「品質」として
「モノにならない。」といいます。そしてそれでこそ強度も高くなるのだと。

底の部分が円形になっていますが、ひっくり返してみると底の銅線も見事に均一に円を描いているのが分かります。

いろいろな方が立ち寄られるそうです。ただ毎日の散歩や通勤で通りかかる人も、いつの間にか心を開いて会話していくそうですが、言葉でいえば「辛くなった心に寄り添う温かさ」が一杯感じられます。
新規採用の教員が生徒の困難な状況に立ち往生しているときに、親からの不満の声、教育委員会からの指導を逃げたいばっかりに、教室の荒れを、管理職も先輩教員も全部若い教員の未熟さの所為にして済ませるようなことが各地に見られます。若い教員に責任をおっかぶせて、その結果追いつめられてしまった少なくない新人教員があちこちで教壇を去っています。静岡では自殺者さえ生んでいます。若い教員を責めても何も解決になりません。仮に若者が弱点だらけだったとしてもそういう若者を育成してきた教育機関や日本の文化自体が病んでいる表れなのですから。保護者も冷静な考えや対処の仕方をしたいものだと思います。
何のかかわりもない人に対しても「見守ろう」とするこの方のまなざしは、自分自身の生い立ちから来るやさしさなんでしょうか。保護者も学校の管理職や教育委員会も先輩教職員も若者を見守り支援する力をもちたいものです。

この方が「銅心」とネーミングしたいわれを聞かせていただきました。
時は1964年の東京オリンピック。マラソンで日本全国を湧かせたのが国立競技場のトラックでイギリスのヒートリーと悲壮なデッドヒートをして、ついに抜かれ、それでも堂々三位=銅メダルに輝いた円谷幸吉さんでした。(円谷さんは『国家』を背負わされて、その後、体の故障も重なり「自死」されます。痛ましいことでした。)
この銅メダルに心の素晴らしさを感じて「銅心」としたのだそうです。

実は今回私が一番好きな写真が・・ぼけていますが・・これなのです。
「工芸師 銅心」と刻んだこの小さな看板は障害をもつ少年がこの方のために作ってくれたもなんだそうで、「工芸『師』というのは、どうも落ちつかないけれど、こうして作ってくれたものだから・・・別に看板をもってもいるんだけれど・・・大切に使わせてもらっているんだ。」といいます。


私のカメラにはバリアングルのライブビューはついていません。ですからこの写真を撮った時には銅心さんの横で地べたに寝そべって下から撮っています。が、それを見た銅心さんはご自分のための小さなマットをすぐさま私に差し出してくれました。
この写真を撮って、ちょっと写真愛好者のはしくれになったかなという感じがしました。
- 2012/01/25(水) 00:02:43|
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「心が寒い時は、ここに来たらいいよ」って言ってもらったような気がしました。
- 2012/01/25(水) 21:29:20 |
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- Shin-Lu #-
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> 「心が寒い時は、ここに来たらいいよ」って言ってもらったような気がしました。
心が寒い時にはぜひ私のブログに・・、といいたいところですが、なかなか人の心を温められる写真を撮ることはできませんね。
Shin-Luさんの言葉にはいつも詩がありますね。きっととても感受性の強い方なんでしょうね。
- 2012/01/26(木) 21:15:44 |
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- soujyu2 #-
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