「絵画」でないわけではないけれどちょっと別のジャンルに分けたい、そんな気がします。
かつては新聞にも雑誌・週刊誌にも必ずと言ってよいほど一コマ漫画があり、その専門雑誌さえ発行されていました。
今はずいぶん発表の場が減ってしまったそうです。

京都のS大学には漫画学部があるし、街には漫画ミュージアムもあります。
でもそこで学ぶ多くの学生の興味はコミックでありストーリー漫画でありアニメです。
4コマ漫画も少なくなってますね。

一コマ漫画は、いわば川柳とか狂歌といった極短形詩ともいうべき表現ですね。
そこには豊かで切れ味のある知識と知性が横溢しています。そしてユーモア、ウイットの服を着ています。
批判精神と心の余裕ですね。

一枚の四角い世界に完結するという意味では写真にも通じるものがあるはずですね。

この日はこの方の個展でサンタクロースをとりあげて100枚の作品が展示されていました。
構想に一週間、清書に2週間・・・・だったそうです。 ずいぶん筆が早いですね。
そして最後の数日間は連日徹夜のようなものだったそうです。

今はどうもインフルエンザに罹患しているのでは・・・・・ということで、どうも病人の顔が写真に写るのは困ったなあ、と。
落語でももう若い世代には通じない言葉や状況が多くて元の形では演じられないばかりか、そもそも何が面白いのか分かってもらえないのでやれない演目も多いとか聞きます。
一コマ漫画では、画く人と見る人にある共通教養や共通認識の土台がなければ、そこをひねろうと、飛躍させようと、「これの何が面白いの?」で終ってしまいます。
そういう悩みが深いそうです。
黒澤明の映画で「生きる」があります。その主人公の地方公務員が、それまでただ退勤時間までをそつなく、無事に過ごすことばかり考えていたのに、自分が不治の病であることを知って、このままの人生で終っていいのだろうかと考え、町の子供、市民の要望をうけて、まあ児童公園といった小さな公園づくりに急に、猛然と取り組みます。
その完成を見て、主人公はある夜、雪の降りしきる中、一人でブランコをこぎます。いつもの帽子とコートを着て。
「命、短し、恋せよ 乙女」と歌を口ずさみながら亡くなります。 志村喬の名演技でした。
志村サンタが一人ブランコをこいでいる作品がありました。 その哀歓を共有できる人がすっかり少なくなったと言っておられました。

笑いの質はどんどん貧相に低劣になってきているという感じがします。
そんな笑いの集団・会社が安倍政権とつるむのも故無しとはできないなあと思う今日この頃です。
- 2019/12/27(金) 00:00:25|
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