大寒に近い今日この頃。各地で雪が激しく降り、ことに東北の被災者の方々にとっては苦痛の多い冬です。
今日も寒いですが、あの人は今日もあそこにいるのかしらん。
あの人というのはこの方です。屋号というか、職人としての号というか。「銅心」という看板を置いておられます。
銅線で籠などを編んでおられます。竹細工にはよくありますよね。

以前は堀川中立売りの付近でこうしてシートを敷いて籠などを作っておられました。いつの間にかそこから姿を消していたので「体を壊したりしたのかなあ。」と想像していましたが、最近はこの疏水べりで「店?」を開いておられます。
私も以前堀川の川端で二つほど求めたことがあります。大変丁寧な仕事をされていますし、「お安い」のです。

こんな風に路上で作業をしていますから、一見すると何やら不審なホームレスか?と思ってしまいます。ご本人も「不審そうな眼で遠巻きに見ていく人も結構いるよ。そういう壁みたいなものを越えてくる人は誰でも大歓迎だけれど、自分から声をかけて呼ぶことはしないよ。」とおっしゃる。
ここは岡崎公園・平安神宮にほど近い桜並木の下です。
この疏水の水の流れる音が好きでこの場所を選んだとおっしゃっていました。
「心が落ち着くくからね。」
(⇔)

つい先ほど、大阪からの?ご婦人が3人が立ち寄って買い求めていかれました。ずいぶん気に入ったようで、楽しそうな会話をしていて二つ求めていかれましたが、ちゃんと値切っていました。
「自分では値段を初めからつけないのよ。気に入ってくれてこれがほしいと言われたら『分けてあげる』という感じかな。」
で、他で求めるよりも「お安く」なっているようです。値段をつけて並べておくと「金を払って黙って買っていく人が多い。そういうのは好きじゃないね。気に入っていろいろ話ができて・・それがいいんじゃない?!」というわけです。

普段シートには10を超える作品が並んでいることが多いのですが、今日は二つしか残っていません。そこで「作るところを写させて・・。」とお願いしました。

「この技術はどうして身につけたの?」
「全くの自己流だよ。」と厳しかった生い立ちを話してくれました。子供のころ電線工事の現場に落ちている銅線を拾い集めて生活の足しにしたのだそうです。・・・50年代60年代の前半はまだまだ広く貧困がありました。電柱で工事をしている人たちはあえてこうした電線の切れ端を拾い集めないで「捨ててくれた」ように思います。貧しさに対する「共感」と健全な同情があったと思います。無論よいことだけあったわけではありませんが。・・・その銅線でモノをつくったら周りの人が喜んでくれたから、以来作っているのだそうです。そういえば私も紐にいくらか大きめの磁石を結んで地面を引きずって回り、針金、古釘などを集めて「クズ屋さん(今では廃品回収業者ですね)」に持っていったものでした。その時に赤金(銅)は高く買いとってもらえた記憶があります。
この方が本物だなあと私が感じたのは、この道具を見たからです。汚れた手入れの悪い道具は一つもないのです。そこに仕事に対する誇りが感じられました。

そして、この親指です。銅線は比較的軟らかいとはいえ指でぎゅっと引っ張るとかなり強い力が皮膚にかかるはずです。
「時々『弟子入りしたい』なんて子がくるけれど指が割れてやめていってしまうことが多いよ。」
この指に長年の仕事が凝縮しています。
ネットで「銅心」と検索すると2,3ヒットします。きょうは寒く幾分暗い日でしたが、もう少し良い季節に「銅心」さんを撮った写真もブログに見られます。製作物もそちらのブログでどうぞ。
- 2012/01/24(火) 00:03:04|
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