私は京都市内のいくつかのギャラリーを巡って絵や立体の作品、あるいは写真を見ていただくのを一つの楽しみとしています。
その中には京都中央信用金庫のギャラリーで「石本正 京の風土にいだかれて」などという遺作展などもあり、京都の住んでいるからこそだなあと思うことがあるのです。
と、同時に作家活動をしている方の作品から絵画教室の生徒さんたちの教室店などまで幅広く見緒せていただく機会にも恵まれています。

この会場は大学の美術倶楽部で同じ時を過ごした同窓生たちの定期展だそうです。
同志社大の「くらまが会」が有名ですが、立命館大の「えんじの会」などもすぐれた作品を展示されています。
いずれも芸術系の学部があるわけではないのですが、こうしたサークル活動からプロの作家が幾人も輩出しています。

この方は高校生の時には美術倶楽部に入って活動していたものの諸般の事情から芸jきゅつ系大学への進学をあきらめて、それでも大学では美術サークルに入ったのだそうです。

高校の部の仲間の内には芸術系大学に進学した者が何名もいたそうですが、作家として活動し続けているのは、ご自身だけだという事でした。
その人生の分かれには何がどう作用しているのか大いに関心のあるところですね。

会場に入ると、すぐに小ぶりな水彩の絵が目に入り、これはかける人の作品だなと思いました。そして数歩進むと夕日に照らされる雲の絵が…地上の様子もない、ただ雲の絵が見えました。
その色合いや大気の中に浮かぶ雲の曖昧だが確実な存在感、そしてその雲を取り巻く大気の輝きが実に見事に描かれ、おそらくはこの絵を見る人がその人の過去の雲を見上げた経験を呼び起こし、情感を揺さぶる絵だろうなと思いました。
これもまた秀逸だなと思って先ほどの水彩の作者の名前を確かめますと同じ作者でした。そして次の炎を描いた二点も秀作でしたが、同じ作者でした。

この方にお声をかけていただき、少し話したうえで「ところで、失礼ですがどの作品をお描きになったのですか?」とお訊ねすると、まさにそれらの秀作を描かれた方だったのです。
それから、しばらく作品論などをこもごも交換してとても楽しく有意義な時間を過ごさせていただきました。

先に書いたように大学のサークル活動からプロの作家になるというのはなかなか難しいことだたろうと思います。
写真サークルからプロカメラマンなどという例も時に耳にしますが、くらまが会からもえんじの会からもそういう作家が生まれているのですから、ご本人たちの強い意思が働いたのでしょうね。
高校や大学で「進路進路」過剰に学生にプレッシャーをかけていますが、こうした人たちの生き方から学ぶものも多いんじゃないかなあと思いました。
そしてそれは私にも降りかかる問題ですね。
- 2019/11/26(火) 00:00:56|
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