21日は三条大橋下の河川敷で「香港連帯スタンディング」が行われました。

寒いだろうなあと思っていくらか重ね着していきましたけれど、やはりそれぐらいでは足りなくて、寒かった。

そんな中で集会参加者がもっていた灯りは香港の人々の上に起こっていること、またその人々の苦痛、怒り・悲しみに思いを馳せる心の温かさを感じました。

私が写真を撮っていると一人の若者が「これは何ですか?」と近づいてきました。予備校生だそうです。スタンディングの趣旨を話すと普段から香港のことにも関心を持っていたとのことでした。「残念ながらこの日本ではたくさんの不合理があるのに多くの人が物言わぬ人になっていて…。」と私が言うと、深く頷いていました。彼の世代では政治について、まして天皇の存在や安保条約下の日本というようなことについて口にすると、何か変わった奴だ、面倒なやつだと排除される空気が濃厚だそうです。話し相手がないばかりか、自由の無い息苦しさを感じているとのことでした。こうした青年とつながる方途が、彼の「自由」のためにも大いに必要だなあと感じました。同時に、若者が政治から遠ざけられて自身の未来の主体者に育つことができなくされているこの社会の在り方を変えないと青年が押しつぶされてしまうなあと思いました。

橋の上でスタンディングを見ていた観光のご夫婦が、やはり「あれは何ですか?」といわれるので、かいつまんだお話をしました。すると、すぐには立ち去らないでお二人でじっと見つめておられました。

中国政府の一国二制度を押しつぶす動き、その強権的なやり方に対しては強い憤りを感じますが、ここに参加したある大陸出身の若者がスピーチしていた通り中国の多くの人々が台湾を憎んでいるのではないし、このような強権的抑圧に対して賛同しているわけでもない、。むしろ表面に出られないけれど深い共感があるという点が大事だと思います。

翻って「日本は自由だから、こんなことをしなくていい。よかったね。」という風に考えている人が少なくないように感じます。ですが、果たしてそうなんでしょうか。
暴力的な抑圧は見た目にはっきりしていますが、日本ではマスコミや教育や音楽などの芸術芸能文化によって極めて上手に首を絞められていること・・・それはまさに麻生氏の言うようにナチスの上手なやり方に学ぶやり方ですが・・・を気づかないだけではないかと思うのです。あなたの会社の中で自由にモノが言えるかどうかを考えてみてください。
- 2019/11/24(日) 00:00:16|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0