この一枚は来年の写真展に出そうと思います。
11月に京都写真美術館でミュージシャンたちの、来年5月の上旬には魅力的な女性たちの写真をギャリエ・ヤマシタで、そして8月下旬のファインダー倶楽部では京都の職人たちを取り上げて展示しようと思うのです。その一枚です。

私はものぐさで優柔不断で努力とは対極にいる人間なのです。そうした人間に何かをさせようと思えば何らかの縛りを課すしかありません。
その縛りの一つが計画を口外してしまうという事です。
そうでなければ、ああでもないこうでもないと言い訳をして、計画は永遠のかなたに先延ばされ、決定すべきことについていつまでもいつまでも行きつ戻りつの逡巡をするのです。
それで精神的な不安が増して情緒が安定しなくなるのです。

もう長いこと自分と付き合っていながら、そういうことになかなか分別を付けられないのが私です。
それでここに書いてしまいました。
来年はもうひとつ2月から3月の間に写真展がありますので、当面これから4回が控えていることになります。
まるでいっぱしの写真家のようですね。

そういえば先日一枚のはがきが我が家のポストに届いたのですが、あて名は「蒼樹」でした。
これは勿論、本名ではないのですが、最近はこの名前で届きます。おかしいですね。
それで「これは本名じゃないはずだけれど、果たしてこの名で届くかな?」と思われたのでしょう、差出人さんは( )してその中に「写真家」と書いてくれたのです。郵便配達の人は、私が写真を撮っていることなど毛の先ほども知らないのですから、何の足しにもなりませんでしたね。

この一枚のはがきによって郵便配達の人が、所番地とともに「写真家様」とでも書いた郵便物をわが家に放り込むようなことがあれば、これは大事件ですね。
まあ逆立ちしたってそういうようなことにはならないでしょうが、郵便局の人たちのサービス、心遣いは相当なものですからまかり間違うとそういうようなことも起きかねません。そのような学習のご苦労をおかけしないようにしなくてはいけませんね。

桐の木を削って正座の時に・・・例えばお茶会でのように・・・お尻の下に置く簡便な椅子を作っています。なかなか好評を得ているのだそうです。
よく研がれた鉋が気持ちの良い音で桐の木を削ります。「けずります」という様なガサツな音ではなくて滑るようなきれいな音です。
高価で名高い一品の鉋より、よく研ぐこととその腕の方が肝心だね。ことに我々にとっては鉋は消耗品だからあまり高価なもの使わないね。 木口に垂直に刃を当てるのではなくて、やや弧を描くように鉋を引くのだそうです。そうしないと刃で繊維をひっかくことになるのです。弧を描く様に引けば刃で繊維をスライスすることができます。刀で物を切るときも同じですね。

鉋は「刃」はもちろん大事ですが、さらに「台」がよくないといけない。それで「台」はいいものを手に入れるようにしている。稠密な組織で硬いものでないといけないからね。
この鉋の台の底面が際立って平滑で平らでなくてはいけません。

鉋屑が美し。
- 2019/09/17(火) 00:00:24|
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