この城間紅型工房で働く職人さんの話を聞いて、少なからず感動するところがありました。
多分あの沖縄戦で徹底的に失われた地点から今日まで回復させてくるということから生まれたモノでしょう。

京都の伝統工芸はその多くが極度の分業体制によって担われてきました。
生産工程を細分化して分業することで、その部分部分の技術の極限までの高度化が果たされてきたし、一定の作業の効率化も可能だったでしょう。
そのことが、今やこの業界の足かせ手かせになっているという面があります。

ある分業の輪が、一つでも途絶えれば、全体が立ち行かなくなります。
分業のある部面では道具も仕事も特殊化され、汎用性がありません。しかも、多くの技術的な蓄積が家業として秘匿される面もありましたから、代替が利きません。

城間びんがた工房では職人の皆さんがどの段階の仕事も一通りはこなせるようにしているのだそうです。
そうなればこの産業として全体としてカバーしあって仕事を継続することができて永続性が保障されます。しかも構成員の全てがすべてに関して当事者であり工夫を発案できるという事でもあります。

何もかも失われた沖縄では道具の一つ一つを創意と工夫で復活しなくてはならなかったのです。
そういう背景もあってでしょう、例えば「びん『型』」をきる刃物も手作りですし、その軸は、なんと沖縄伝統の「箸」が使われているというのです。
「箸」と同じ素材とかいうのではなくて出来合いの「箸」を柄として使うのです。
刃先も自分たちで作り出すのだという事です。

上の写真の手前に何やら四角い板状のものが見えますね。
これは「型」を切るときの台になるのだそうですが、素材は「豆腐」です。木綿豆腐。これは木綿豆腐でないといけないのだそうです。
これを乾燥させて刃物を突き刺して型を切る上での「台」にするのだそうですが、何しろ豆腐ですからゴキブリは狙うしカビも生える。それを防ぐには「今は冷蔵庫があって助かるのですが・・・」、自動車のエンジンオイルに浸すのだそうです。
それで刃物の切れ味は使用しながら保てるし、カビやゴキブリよけに効果があるのだそうです。

そしてエンジンオイルが一番だということを発見するのも工房の皆さんの試行錯誤の末だそうです。
こうして「伝統工芸」だからといって道具もやり方も過去のモノを固守するのではなくて・・・それが無いということもあって・・工夫し・発見して「琉球紅型」の染を実現しているわけです。
これにはおそらく担っている若い人たちがワクワクとしてこれにとりくんでおられるのだろうと想像するのです。
手前の袋が見えます。中身は何だと思いますか。
- 2019/09/12(木) 00:00:37|
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