橋の下です。
こういう風に光に方向性のある場所だと陰影が出て写真は一段と魅力的になりますね。
肌の質感も出ますし。

撮り方は定番です。 レンズはミノルタ 80-200 f2.8です。
背景のボケはあまりガチャガチャしないでいい感じだと思います。
もっと絞りを開ければ、一層柔らかな優しいボケになると思います。

木陰で撮っています。
こういう条件だとプラナ―85ミリ f1.4の方がもう少し立体感が出るかもしれません。
このレンズは自動でも手動でも合焦しやすくて、精度も高い気がします。

写真機がα99ですからEVFのファインダーではいまひとつ目の輝きまでは目でとらえられません。
結果的には捉えているのですが。
撮る瞬間に撮る主体がこの目のきれいさに心が動いていないということが、私にとっては問題です。
焦点さえ合わせれば、こう撮れているだろうというのでは、ちょっと気分が治まらない、納得しないのです。撮る楽しさにならないという事でしょうか。

この日も暑かったのですが「案外、涼しい顔をしていましたね。」というのがこの人の後日談。
全くです。私の方は汗が噴き出し、流れ落ちているのに…ケロッとしてますね。


「今日も暑い一日になると思います。熱中症にならないように水分補給に心がけるとともにクーラーの適切な使用を・・・。」と呼びかけるTVのアナウンサー。
このもっともらしい呼びかけを聞くたびに正直に言うとある種の嫌悪感を感じるのです。
というのもまず第一に、それぞれの個人の対策としてはある範囲においては適切な呼びかけだとしても、その個人というものに対する想像力があまりにも貧弱・貧相だと思うからです。熱中症に陥る可能性の高い独居老人や生活保護世帯などにそのクーラーがいきわたっているとでも考えているのでしょうか。クーラー設置は贅沢だから、それをするなら生活保護を打ち切るなんて言うことを自治体があちこちで言っていたのがすっかり過去の話になっていればよいのですが。年金の支給額が生活保障とはかけ離れていて、そのうえ介護保険料を天引きされていて、あまつさえ8%の消費税によって消費を抑え込まれていて(さらにあまつさえそれを10%に引き上げようなんて)・・・・。そういう生活実態の人々がどれほどいるのか。貧困児童の数はどうなのか。その人々に向かって「クーラーは使い惜しみしないで積極的に活用を・・・」と呼びかけることの無残さを感じないのだろうか。
いや、しかし、それは一般的にすべての家庭が貧困家庭ではないのだしクーラーの普及率も全世帯の91%~92%の水準に達しているのだから、適切な呼びかけだというべきだとの声があるかも知れません。マスコミはマスに対してほぼみんなに当てはまるように話すしかない面を持っていますしね。
しかし、91~92%の世帯にクーラーがあるということは約10%にそれが無いという事です。世帯数は5000万余りあります。その10%と言えば500万。そのすべてを単身の世帯だとしても500万人はクーラーをもたないことになる。むろんそうした人が個別的にアパートや戸建て住宅に住んでいるとばかりは限らないのでクーラーのあるなんらかの施設に暮らしているかもしれない。だが、500万世帯にクーラーが無い!ということに思い至れば「この暑さの中でクーラーが行き届かない世帯に対してクーラー設置の施策はどこまで進んでいるんでしょうか。」という問題意識がかけらでも出てこないのはなぜなのでしょうか。その点での行政チェックの取材報道はどこかにあったでしょうか。どこかの政党や市民団体がそういう事を丁寧に進めていてその活動を伝えるものはあったでしょうか。
だが、私はクーラーに頼って涼をとるようなやり方の根本を疑うこともまた大切だと強く感じてもいるのです。
これほど自分本位の生活行動・意識があるだろうかと思うからです。 自分の生活空間にある熱は他人に押し付ければことが足りるというやり方。自分の部屋から取り去った熱は隣の家に向かって吐き出す。自分の家や部屋は密閉しているから室外機の音も遮断するかもしれないがそれもよその家に押し付ける。都会の暮らしは大半の人がそうして熱と騒音を公共空間に吐き出して、そのいく先には無関心。そういうことをしておいて、ここ数年毎年記録的に暑いよねとか都会は暑くてたまらんなあ夏の間だけでも仕事場を北海道にでも移したらいいのに、うちの会社がそんな気の利いたことする?! ほんとやりきれないなあとか他人任せの事ばかり言ってっとりあえず冷え冷えのビールを飲んで帰ろうかなどと考えている人のなんと多いことでしょう。自分たちでホットアイランドを作り出しておいて最近のゲリラ豪雨ってホント怖いよねとか、ちゃんと熱中症対策しない人のために救急車を走らせて税金の無駄遣いじゃない?!なんて言い出しかねない。(自己責任で解決してよねって言いかねない様な関西拠点の政党もあるし。) クールビズでネクタイを緩めましょう的な対策でお茶を濁している場合じゃないのだ。
都市の設計として街づくりとして・・どうやって金を稼ぐかばかりを町づくりにしないで…クーラーを使わなくても暮らせるまちづくりに変わらなくて人間らしい暮らしを営めるのだろうかということを考えたい。
そういう事を考え行動する人を今度の自治体の選挙や衆院選で議会に押し出そう。それも一面他人任せではあるけれど。
そのためには後は野となれ山となれ式自分勝手自由主義ではなくてまさに民主的な協議と行動を優先して公共空間づくりをする「政治」が必要なのだと思うのです。
- 2019/08/04(日) 00:00:59|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0