鴨川は音楽の練習にはもってこいの場所です。
こうした状景を見るとつい近づきたくなります。 私が青春時代にやり残したものをそこに見るからかもしれません。

大学のサークルの仲間だそうです。
音楽やスポーツのサークルでは一緒に練習したり、お互いが励ましたり叱咤したりして成長しあうのが普通なのに・・・・うん?! これは最近では普通ではないかな。そういうことをしたくないので「同好会」にして、それを肴にコンパするのが目的の集まりも多いから・・・・写真部ではなぜそれができないのでしょうね。
写真部では、やはりなくて、広く一般的な傾向なのでしょう。

先日ある大学の写真部の写真展で「君たちは『合評会』をしている?」と尋ねました。
その学生は「やりたいんですが、なかなかメンバーに応じてもらえなくて。」と答えていましたが、別の大学の学生は「去年提起してみたんですが、拒否感があって、そのままになっています。」ということでした。

写真部で「合評会」を定期的にできているのは、あるいは写真展の前にできているのはR大の片方ととR大の写真部だけのようです。
ある女子大では写真展の前にやっているかもしれません。
それをやれば写真のクオリティーの平均をあげることができるし、もっともすぐれた作品の質も確実に上がります。

S大の学生は「やりたいんですが、他の学生の写真をどのように批評したらいいのかわからないんです。」とも言っていました。
それでそこにいた女子学生も巻き込んでちょっと強引な「合評会」を一緒にしてみたのです。
「こういう事なんですね。」と目を輝かせて、「何とか皆とやってみたいと思います。」と決意を示してくれました。
小中高大と先生の言うことをただ記憶して時に吐き出すだけの学習にならされてしまって、お互いに意見を交換して共に成長しあうような経験が乏しいのが現状です。
運動系の部活ではなおさら顧問の上意下達に従属することにならされてしまっているのでしょう。

そういう事をせめて大学では修正してほしいのです。
が、それをしても職場に行けばまたただ従順であることが求められる現代社会では、就活でまた「忖度して演じる人格」に自分を慣らさねばなりません。
いや、必ずしもそんなことはないという人もいるでしょうしそういう現場・職場もあるでしょうが、資本の権力にはもうほとんど無抵抗なのが日本の現状じゃないでしょうか。
自らの尊厳や命が危機にさらされても抵抗することもできず自らを傷つけ時には自らを消してしまうところまで追いつめられているのが「普通」になってしまっていないか、と思います。

それで、こうしたサークル活動を通じて人間らしい、互いに敬意を持って付き合える体験を豊かに経験してほしいと切実に思います。
世の中の人々を「勝者と「敗者」に二分する考え方は全く間違っています。「敗者」は何も得られなくて当然だ、あるいは「勝者は」すべてをむさぼってよいというのもまた野蛮な考え方で、それは強欲社会の表現です。
それを越えて共同していく努力こそが求められます。
学生たちには強欲資本主義の非人間性を「それはおかしい」と感じ、抗うことのできる知的、精神的な力を身に着けてほしいなあと思うのです。
- 2019/07/09(火) 00:00:04|
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