これまで何度か写真展をしてきました。
その時に感じていた事の一つは、見てくれた方々の(つまりは日本人のという事でしょうが)感想なり批評なりが何かモヤッとしているとないう事です。
その点で今回は違った経験をさせてもらいました。

この人もそうでしたが、かなりはっきりと評価を口にし、身振り手振りでも伝えようとしてくれます。
この人はトルコから来られている人ですが、台湾の人も中国の人もドイツの人もスペインの人もタイの人も・・・・。
親指を立てた両手をこちらに向けて「グーッ とても良かったよ。」と。

この人はロシア人の友人と来ていて、この会場近くではその友人をカメラに収めていたらしいのです(別のスタッフ談)
私はこの人が、とても丁寧に写真を見てくれて出入り口付近に来た時に満面の笑顔で「素晴らしかった!」と言ってくれたのがとてもうれしかったのです。
ミュージシャンたちの表情がよく撮れていると言ってくれている・・・・様に聞こえました。
私の聞き取り能力はかなり私に都合よく聞こえるものかもしれませんが。

それで、あなたたちを撮らせてくれないかといったのですが、ロシア人の青年はダメでした。
この人は「サングラスはどうしようか?」というので彼の優しそうな眼差しを撮るために「サングラスは外してくれないか。」とお願いして撮りました。
見てください。この優しそうで知的なまなざし。

私は中近東にいったことがありませんが旅慣れた友人によれば中近東は美人が山ほどいるとのこと。ですから男前だってたくさんいるわけです。

「いやあ、いいモデルだなあ。」と声をかけると少し、はにかんでポーズをとってくれました。
それで、「じゃあ サングラスをかけて。」
政情は安定しないかもしれないけれど、美男・美女を求めて中近東に行きたくなりました。
だってとても彼の性格が良くて紳士だったから。


ところで、今度の写真展でも「プロの写真家」と言われることが一度ならずありました。 例えば写真を撮って差し上げて「さすがにプロの写真家が撮る写真は違うなあ。」とも。
しかし、一方には私の写真を見て「おまえがプロだなんて片腹痛いわ!」とおしゃる方がおられるとは思います。
私自身は、全くの冗談で「プロが撮ると高いよ。」なんて言うことがありますが、公式に「プロ」だといったことはありません。
写真を生業にしてはいないのですから、プロじゃありません。技術だってプロというには恥ずかしいものです。
私が所属させていただいている「京都ファインダー倶楽部」は「文人」の余技として写真を撮る人の集まりですから・・・・ただ今度はそれはそれで、じゃあお前は「文人か」という、より一層大きな問題に直面してしまいますが・・・・・プロの写真家は参加させてもらえないのです。そこに加わっているということは私はプロじゃないという事です。ただ「どうも蒼樹はプロの写真家らしい。そういう人を何故参加させたままにしておくのか。」という疑念が一部に生じたこともありました。どうしてそういう誤解が生じるのか、私にはよくわからないのですが。
という訳で、私は写真のプロではないし、プロを目指してもいません。
最初の個展の時にお目にかかったプロの写真家さんが、「おまえはこれからどうするんだ。」というので「10年くらい後には『写真家』と言えるような写真を撮っていたい。」と言って叱られました。その人はつい3年くらい前に私の写真を見て「こんな写真を撮っているんならやめてしまえ。」とおっしゃっていましたが。
そんなわけで・・・・写真を楽しむうえでプロだとかそうでないだとかいうことは、まあ別にどうでもよいことなので、こんなことをいちいち弁明する必要もないのかもしれませんが・・・私はプロの写真家じゃないんです。
こういう弁明をしながら、まるでプロだねと言われていることを自慢しているんだろうと解釈される人が最近の世の中には多いし、余計なことは言わない方がいいとも思いましたが、どうも誤解させたままでは落ち着きが悪いので書きました。
- 2019/06/29(土) 00:00:37|
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