禍福は糾える縄の如しとはよく言ったものです。
昨年「音楽の祭日」企画として清水寺の西門で100人のトランペッターの演奏がありました(実際は122人でしたが)。
そのイベントの際に参加者やサポーターの皆さんへの記念にと立派な写真集を制作したのですが、その写真撮影を任されました。
それでその撮影の必要から、私の人物写真撮影には、まず要らないだろうというレンズ2本をやむを得ず購入しました。

痛い出費でした。
一本が20ミリの単焦点広角レンズ。もう一本が75-300ミリの望遠ズームレンズです。
しかし、いったん手に入れるとそのレンズがあることで、こう撮ってみよう、ああ撮ってみようという選択の幅が広がったのです。
大きな演奏会場では75-300ミリが、こうした狭い空間で多人数の時には20ミリの広角レンズが活躍してくれます。

多人数を同時に撮るのはなかなか至難の作業です。
皆が同じくらいいい表情をしてくれて構図も良く動作のバランスも良いなどなどの条件をすべて満たすのはなかなかに難しい。

難しくはありますが音楽演奏の場合は、その音楽の流れに沿って皆が協調しているのですから、その点ではチャンスをつかみやすいと思います。撮る側が音楽に造詣が深ければ・・・・。
そこが問題ですね。
で、私の場合は、仕方ないのでただただ音楽に身を任せて、流れの中で見逃さないようにするしかありません。
それでやはり立ち遅れたり勇み足になります。

職人さんたちを撮る場合にも同じですね。
ここに撮り手の個性や知性や技能が映し出されてしまいます。
ですから写真もまた自己像という面が必ずあります。 それが辛いところです。

京都グラフィエでいろいろな写真家たちの作品を見せてもらうとつくづくそんなことを思わされますね。

ここで演奏している人たちは3歳だ、5歳だという頃から音楽の演奏に親しんできていますし、個々にも先生について学んでいます。技量は相当なものですから、互いの調整はどんどん進んでいきます。
問題点の把握も速く、演奏の精度は見る見るうちに高まっていきます。
- 2019/04/29(月) 00:00:46|
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