宗教家とはいかなる存在なのかということは私の高校生のころからの一つの考えるテーマでした。
高校のほど近くにあったキリスト教会の牧師や、洗礼を受けた敬愛する同級生の存在は私に宗教とはなんだろうかと一再ならず考えさせました。
フランスなどの啓蒙主義思想を学びながら・・。
鐘をたたきながら経を唱えます。 そして善き人々の善意を期待します。

こうした行為は尊いと思いますし、たくさんの善意は集められて人々の励ましとなるでしょう。

みなさんの中に「ティッシュペーパー」配りや、店のチラシ配りをした経験のある方はおられますか。
それを手渡す側は「(受けとってください)お願いします。」という側です。反対に道行く人は「受け取ってやる」立場です。その時に人々の心が現れます。そういう「心」に触れたことのある方はお分かりでしょうが、こういう経験は「人とは」ということをいろいろ考えさせてくれます。
まして「私は正しいことを人に伝えようとしているんだ。」とか「尊い行為をしているんだ。」などと思ってやっているとなおさらです。
こうして「待つ」のではなくて、「・・・・・なので、募金お願いします。」と働き掛けてみれば一層多くのことを体験すると思います。
若い僧侶は自分の募金活動の意義をどう考えてしているのか、その踏み出す行為で分かります。そこに修行があると思うんですね。
(⇔)

しかし、いずれにしてもここにも青年の一つの姿がありました。
- 2011/12/24(土) 00:09:30|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:4
歴史の長い期間人々は宗教的な思考をしてきたし、その時代の積極的なものも否定的なものもいずれも宗教的な形をとらざるを得なかったという事情がありますから、過去から学ぶ場合に宗教は避けて通れないようですね。私はイエスと親鸞に興味を持っていますが、イスラムのあり方にも関心があります。他からも学びたいと思います。否定的なものから学ぶこともありますしね。
ただ「セクト」主義はいやですね。排他的で独善的なのはとてもいやです。宗教に限らずですけど。
- 2011/12/25(日) 20:48:16 |
- URL |
- soujyu2 #-
- [ 編集 ]
今回の3つめの写真が、とても好きです(^O^) 後ろ姿でも仕草とかその人のこと、いろいろ読み取れるものですね~。
- 2011/12/25(日) 23:19:17 |
- URL |
- みぞて #-
- [ 編集 ]
コメントの返事をする前に次の写真が出てしまいましたね。
また感想などお寄せ下さい。
- 2011/12/29(木) 09:25:06 |
- URL |
- soujyu2 #-
- [ 編集 ]