満開の桜の花の下での楽しみはいろいろあるようです。
ここに集まる人はアマチュア仲間でも相当な実力者ぞろいのようです。

府外からおいでになる方もあって、今日は将棋盤は二つですが、三つをおいて対戦相手をつぎからつぎへと換えて行って総当たり戦にもなるんだそうです。

私が「覗かせてもらってもいいですか?」とお訊ねすると「相当やるんですね?」というお答え。
いえ私の場合は小学生の頃に父親から駒の動かし方を教えてもらって以後、そのまま化石になってしまったというパターンです。
ですから形勢も分かりません。

日差しが注ぐ頃はいいのですが、少し傾いて影が伸びると、やはり少し肌寒くなります。
そこは燃料を補給して・・・・。

「桜は咲くし、酔いは回るし、いい感じですわ…。」などとおっしゃいますが、将棋を指す表情はとてもそんなに緩いものではありません。
あまり長考はされませんので早指しの約束なのかもしれません。

月に何度かここで指すのだそうですが、三々五々対戦者が集まってくるのだそうです。
梁山泊のような場所なんですかね。
向こうにもう一か所将棋打盤があり「やあとても強くてどうにもならんよ。交代交替。」と言ってお一人の方が来られました。
それで将棋は途中なんですが、取りやめてお一人がこちらに回りました。
こちらの後ろ向きのお年寄りが素晴らしく強いお方だそうで、この方をあまり手空きにしないようにして対戦しているようです。

新元号についての大袈裟な報道は一段落しているようですが、相変わらず政府与党の悪乗りは続いているようです。
そこでこあえて私が書かなくてもとも思ったのですが、思いのほか軽視されて済まされそうなことについて記録と記憶のためにも書きつけておきたいと思います。
NHKの岩田明子解説委員(元安倍番記者)が菅官房長による新元号発表直後の番組で次の様に発言しました。「この令和の『令』というのは、良いとか立派なという意味があります。たとえば嘉辰令月ですとか、そういう言葉にも使われるように、良い意味があると。また、『和』は穏やかで暖かい、また争いのないという意味が込められています。想像なんですけども、これまで安倍総理大臣、よく色紙に書を求められますと『和を以って尊しとなす』という字を書いておりましたので、『和』という文字にはもしかするとこだわりがあったかもしれません」(LITERA 4月2日より)
ここにはいくつか見逃せないことがあります。
「令」には「令婦人」とか「ご令嬢」とか人を褒めて「良いとか立派な」という意味が確かにあります。けれど、この岩田明子という人は新元号発表「直後」に多くの人が『え?!それなに。』と言いそうな「嘉辰令月」を例に挙げて「解説」しています。よほどの教養人なのでしょうか。しかし、NHKの解説員があえて大衆的に知られてもいない「宴曲集」から例を採って解説するというのは果たして賢明なやり方なのでしょうか。が、問題はそこではないのです。問題は彼女の解説の文言から既に予め「令」について予習ができていたのではないかと想像することができるということです。
大辞泉では「めでたい日と月。『―の曇り無き御代に逢ひては』〈宴曲集・二〉」と説明されています。(「君が代は千代に八千代に・・・」に通じる「御代」が含まれる文が引かれています。予習のために配られた資料を作った人の趣味や傾向がうかがわれはしないか。まあこれは邪推だとしても、)果たしてこの例示が岩田氏の教養に基づくものなのかどうか、はなはだ疑問です。
それで安倍氏と長年お付き合いのある岩田氏は、そのことを隠さずに「これまで安倍総理大臣、よく色紙に書を求められますと『和を以って尊しとなす』という字を書いておりましたので、『和』という文字にはもしかするとこだわりがあったかもしれません・」とコメントしています。彼女は自分が如何に安倍氏に近いかということを言いたかったかもしれません。それはともかく、先日の私の文章に、この「十七条憲法」の「和」に通じる選択ではないかと書いたことがはしなくも彼女によって幾分傍証されています。ですが、またしても、そんなことはどうでもよいのであす。注目しなくてはいけないことは、現憲法下において元号をその時の政権の行政の長が決めるのは当然の疑いもないものだという認識が岩田氏にあることが実に明瞭に告白されていることが、問題なのです。時の総理大臣はあくまで一党一派の長だということがまるきり分かっていない。確かに総理大臣は、憲法の規定に従って、国会の指名に基づいて一国の宰相の立場にあるのですが、一方与党の党首であって決して全国民の利害や意見・識見・要望を体現しているわけではないのです。民主義とはそういうものです。今の一時期において政権をとっているにすぎず、相対的多数派のそれを表しているのでしかないということ。岩田氏が、そのことについての安倍氏の自覚の無さをそのままに内面化した解説委員だということが分かるのです。
元号は元来、中国皇帝が時間と領域(地上世界)の絶対的支配者であることを示すために「『時』に命名する」ところから出たものです。
かつて人々は人の名を呼ぶこと(知ること)でその人を支配・我がものとすることができるという観念を持っていました。だから人はその本名を他の知られないようにもしたわけですし、もし知られてその名を唱えたり書いたりしたものを形代として呪われれば現実的に命が危険にさらされると観念してもいたのです。また、『時』に名をつけ、人に名を付け、地に名を付けることは主権者の特権だったのです。それゆえに和気清麿は「恋路」を邪魔されて怒った称徳天皇によって「和気穢麻呂」とされ、姉の和気広虫は和気狭虫とされて平民の身分に落とされたのです。
現憲法に天皇が規定されていなければ、元号もまた存在しえない。天皇制がないのに元号だけが存続する理由はないからです。天皇が万機を統べる主権者であった時には元号は文字通りの機能を期待されました。ですが、今日の仕組みとしての天皇は「国民統合の『象徴』」であって一切の政治的権能を有しません。国事行為のみを行い、それも「内閣の助言と承認」の範囲で行うとされています。しかし、そういったからといって、内閣総理大臣の助言と承認のもとに≒意志のもとに天皇の国事行為があると考えてはならないのです。その内閣総理大臣が国政の最高機関である国会の意志、決定の範囲内において、それを行政官として具現することを使命としていることを忘れてはなりません。
元号の存廃については意見の分かれるところです。が、仮に元号の制定を認めるとしてもその制定の手続きも、意味も、効果も一時の政権与党の党首の趣味、嗜好、見解を体現してはならないのです。国民統合の象徴たる天皇と結びつけられる以上は、それに見合って、国民の統合を機能する普遍性を有さねばならないということです。「普段から色紙に書いていて、首相の好みに即した元号」であるなどという事であっては、決してならないのです。
だから、現憲法下でいったん廃止されたものを無理強いに復活させた(元号法)としても、遠い昔の漢籍から雅であったり賀であったりする語を選ぶというのは元号を支持する立場からいっても賢明なことであったと思うのです。時の政権の意志であったり、それを忖度したりするものでないことが肝要なのです。
生々しいものではない元号であるべきなのです。
だから元号の選考に当たっては中立的で見識を持った「元号に関する懇談会」に託されるべきで(これ自体、現今の「第三者委員会」の偏向に見るように難しいことではあるのですが)、それがこの度見た如くに単なるイチジクの葉に堕すことはこの元号制をはじめから考え直す必要を生むことになると思います。
「元号に関する懇談会」の結論を総理大臣や官房長は「粛々と」受けて、新天皇に伝える。それが筋だと思うわけです。「令和」という時代をその全体を体現できるのは天皇だけであって、決して一時期の総理大臣ではないのです。それが新天皇に伝えられて新天皇が即位すると同時に元号が発布され、その元号の持つ意味が「内閣の助言と承認」に基づいているという前提の下で天皇から伝えられる。
そうでなければ内閣総理大臣の元号となってしまうではないですか。安倍氏は喜々として新元号の意味・解釈を国民に伝えていましたが、それは彼の権限ではないのです。私が右翼思想の持ち主ならば、安倍氏のこの越権について見逃すことは絶対にできないと思います。左翼思想の持ち主であるからなおのことこの反憲法的な元号の在り方については受け入れることはできません。
(安倍氏の主義・主張、嗜好を内面化した者がNHKの解説員であることも、そういう人物がNHK内で「出世」する状況も、また、私は軽視することができないのです。)
政府が依頼した「元号に関する懇談会」の人たちや国会の正副議長に対して、携帯電話を強制的に預かって禁足までするなど情報統制をしておきながら、総理・官邸のご都合次第で田崎史郎、岩田明子などの安倍追従評論家や解説者にはあらかじめ情報を漏らす。そうして
て、手なずけながら、応援報道を依頼しているのです。
政権による国政の私物化、ご都合主義も極まっているというべきでしょう。
- 2019/04/15(月) 00:00:02|
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元号法によると、「元号は、政令で定める」ことになっています。
ですから、実質上、総理~官房長官で新元号を決めたのでしょう。
有識者懇談会は茶番であることは明らか。
しかし、新元号そのものには責任はありません。
結局、令和の時代を生きる国民が「あるべき時代を築く」しかありません。
一方で、元号制定過程はもっと明らかにすべきでしょう。
そして、元号法には、一内閣の一存で決めることがないよう、明示すべきでしょう。
- 2019/04/15(月) 22:06:10 |
- URL |
- yamashiro94 #-
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コメントありがとうございました。
「明治100年祭」の時にも、前の「平成」改元の時にもさえもっと様々な雑誌などで問題を掘り下げて取り上げていましたが。今や書店に見る雑誌の多くが右傾のもので、保守とさえ言い難いものが大手を振っています。
マスコミはご存知の体たらくですから、多様な考えが交換されるのではないし、ましてやそもそも論など拡大鏡で探しても見つかりにくい状況です。そこまで「昭和」「平成」の間に日本社会の変容が進んでいます。
それで拙論のようなモノでも提出すべきかと思って書いています。またご批判ください。
- 2019/04/16(火) 09:11:25 |
- URL |
- soujyu2 #-
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おはようございます。
今回の元号/元号決定に関する違和感を言葉にしていただき、感謝です。
NHKははっきりと国営放送と銘打って、受信料徴収の二重取を止めるべきです。税金が既に投入されているわけで、その上さらに一般国民から強制徴収、まともな報道もしないでは先の大戦時と同じ構図です。
三権分立もなし崩しの状態ですから、ますます危うい日本の現況ですね。
- 2019/04/16(火) 23:08:08 |
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- yokoblueplanet #-
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