日本人の多くは「和」が好きだ。何か一文字を色紙に書くような場合には10人のうちの数人は「和」を選ぶんじゃないかと想像する。
「和をもって貴しとなせ」という言葉もまた大いに人気がある。平和や人々の和やかな関係性を喜ぶ人が多いのはそれはそれとして歓迎したい。
ただ、そこから話を拡張して「日本人」は本来の性格として争いを好まないだとか平和志向なのだなどという大して根拠のなさそうな話をまことしやかにする人もいる。
・・・・某国策テレビの大河ドラマが扱う時代が戦国時代と江戸幕末期が断然多いことを見てもそう言えるのかどうか誰か研究してみてほしいものだが・・・・。
「和をもって貴しとなせ」には「無忤為宗(さかうることなきをむねとせよ)」が続くことを忘れている。いやおそらく意図的に落としている。それで「和の精神を説いた」などとあらぬ方向に解説するものが多い。「忤らう」とは何に対して誰に対してなのか。それまで蘇我氏をはじめとする大和などの有力豪族の連合体であった政権を、厩戸を含む一族が、その豪族の長を権力の中心に据えて他氏族を圧倒しようとする意図をもって大王政権に逆らうなといったところに「十七条憲法」の眼目がある。決して「みなさん仲良くしましょう。」と平和に述べているわけではない。「詔を承りては必ず謹め、君をば天とす、臣をば地とす」と切り離して読むのは、教育勅語を「一旦緩急あれば義勇公に奉じよ」と親を大切にしろ、兄弟仲良く、夫婦相和しを切り離すのと同じやり方だ。(十七条憲法が厩戸よって書かれたかどうか、西暦604年に書かれたものかどうかも、今ではほとんど疑われているが。)
何もここで十七条憲法を持ち出す必要はないかもしれない。
ただ単純に「和=やわらぐ、なごむ」でよいとしておいても良いのだろう。
しかし、「令」+「和」=????
「令」の意:⓵1、命じる。いいつける。法令を発布する。
2、よい。りっぱな。すぐれた。 ➁ しーむ
和することを命じる=「忤うことを禁ずる」????
=安倍独裁政治に従え?!?!?!
ちなみに書き付けておけば「和」の訓は「やわ-らぐ、やわ-らげる、なご-む、なご-やか」で「音」の「わ」は「呉」音だ。
「令」の「音」の「れい」は「漢」音だ。
中国古典から採るのは止めて日本の独自性を出したのだそうだ。「万葉集」は「万葉仮名」で書かれている。漢字の音を活用(借りて)して書かれているのだ。
幕末から明治の知識人の漢文学の素養は深く、外来語をその漢語教養を生かして「哲学」「社会」などなどとして日本語を更に豊かにした。
漢文学や漢語教養を外来文化だとして、それから区別した日本文化を強調し、中国からの渡来のものを日本らしくないとするのはかつて歩んだ苦い道と同じではないか。そのことは日本文化のやせ細りをも結果する。
そこをもって日本の独自性を強調したなどという「忖度」文化人の姿に愕然とする。「はじめは違和感を感じたが説明を聞いたら良いなと思うように」簡単になってしまう知識人たちがテレビで盛んにインタビューを受けている。
今、一部の人たちが「嫌中」(「嫌韓」)の風潮を強めている。まさにその時に安倍氏主導でこういう「日本化」をしたことについて、誰も訝しさを語らないのはなぜなのだろうか。
菅官房長の会見の時の記者たちはもはや批判的精神をマヒさせている。新元号が示される一瞬に固唾をのんでしまっているのだ。物事を相対化してみる精神を失いすっかり誰かの手の内で興奮している。
記者までが号外を奪い取りあう大衆と同じになってしまっている。
あぶない、あぶない。
日本は危ない。
私はそう思う。
- 2019/04/02(火) 08:00:14|
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