卒業するものがあれば入学するものもある。
人々は人生のそれぞれの階段をそれぞれに上っていく。 何年ぶりの同窓会、何十年ぶりの同窓会、もう還暦だから集まろう・・・などなど。
その先には・・・・。

春が来て夏がいく、秋を楽しめば冬に震える・・・。そしてまた。
しかし、それは単なる繰り返しではなくてらせん階段のように上がっていく?降りていく?
3月のある日、近所の少し先輩になる方に「ようやく少し暖かくなりましたね。」というと「そうだなあ、又暑い日に苦しむことになるなあ。」というお返事。

私が中高生の頃大いに人気者だった歌手や俳優たちが「往年のスタ-」としてTV番組で紹介される。
ずっと年下だったはずのあの人やこの人も「え?! こんな中年のおじさんおばさんに?!」
いやはや全く困ったことだ。

おそらく多くの人がそういう感慨を抱きながら暮らした時期をもったのだろうと思う。
夭折した人もいれば突然の死に遭遇した人もいるのだから、こういう感慨にふけることができるのはある意味では幸せということになるのでしょう。

銀河系の太陽系の第3惑星上にほんの一瞬生を受けて時を過ごすことの不思議。
その地球の外皮の上で政治や芸術や自然や信頼や離反や・・・・様々な人事が展開されていく。
人の個人史からすれば長い一生であるかも知れないけれど、人ひとりの命は第3惑星が太陽の周りを数十回回る間の事だ。

その間に斯くも様々なことを見聞きし、行い、思い悩み、喜ぶことgはできる不思議と幸福。

アンモナイトは、ニシンは何を思い、何を煩って一生を終えたか。
若い人と接すると、ふとこういうことを思う。春の一日。
- 2019/04/05(金) 00:00:35|
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