この拙ブログも開設して間もなく、満8年となります。
こうして人物写真ばかりを撮ってきました。 撮らせていただいた方は1425名ほどになります。
私は大概、3年か4年するとどんなことについても興味の目先が変わって浮気する傾向が強い人間で、又、「熱しやすく冷めやすい」とは亡くなった母親が常に私を評していっていたことです。
その意味ではよく続いてきたなあと思います。
この間、あるプロ写真家さんには「こんな写真を撮っているのなら写真をやめたらどうだ。」と言われたり、ある審美眼をもたれる親切な方からは「入門、初級以下だよ。褒めてばかりじゃないきちんと辛口で評価する人の教えを受けたほうが良い。」と助言されたりしたこともありました。

まあ、しかし、この写真の活動が私の人生を前向きにし、いろいろな人との出会いを与えてくれて、さらに見たことのない世界を見せてくれているのですから、投げ出す理由は一つもないわけです。

写真も上手くなるに越したことはないのですし、私もそうなりたいとは思うのです。しかし、そもそもその『うまい写真』とか『良い写真』いうことがどういうことなのかが少しも分かっていない私としては、ただ楽しいことだから続けようというだけの事なのです。
これが20代30代ならば、話は違っていたでしょうし、違っていなければいけなかったのだとも思います。
私が仲間に入れていただいている写真の『倶楽部』の定期展の名前が「文人光画展」なのですが、・・・・自分を「文人」などとは到底言えませんが、しかし、・・・・そこにいささかの精神の共通を見ているのです。

これまで幾度も書いてきていますように今年の6月には清水寺の経堂をお借りして写真展をします。
これだけでも大したものだと思って「一喜一憂」の種にしていこうというのが私のやり方です。このブログの毎日のランクの上下と同じですね。
写真は目的だというだけではなくして、ある意味で手段ですし。
写真を若い女性を誘って食べ歩く口実にしているんじゃないかというご指摘もありますが、そういうことも無きにしも非ず…と言えるかもしれません。
この人などはそういう私の活動に、もう足かけ5年も力を貸してくれているのでして、実に有難いものと思います。

こういう聡明な人が特に嫌がりもせずにお付き合いしてくれていることが、何かをほんのり明かしてくれているとも思います。
それが何かはよく分かりませんが。

そういうわけですから「バカにつける薬はない」と思って温かく見守っていただければ幸甚と思う次第です。

第3次5カ年計画まであと2年です。
この2年間のうちに次の5年間のための基礎条件を作れるでしょうか。 楽しみです。
統一地方選でが行われていますね。
公職選挙法が厳しく選挙活動・政治活動を制限していますので町は静かです。
買収や情実での投票「強制」が当たり前のように行われていた時代もありました。
私が若いころにある山間部の町の選挙にかかわった時の事。
部落、区域ごとに推薦候補が決まっていて、村人のほぼ8,9割はだれに投票するかわかっているという状況でした(表向きは)。
町の数本の道路には部落の出入り口毎に見張りが立ち、夜には火がたかれて人の出入りがチェックされていました。
村人は昼は選挙事務所に駆り出されて、他候補の応援ができないようにされていました。見知らぬものがうろうろすると必ず幾人もの男がつけて来て、尋ねた家に後から行って「どんな用事で来た。選挙の事ではあるまいな。」などと詰問するのです。まあそういうことは警察もかつてしていましたが。
集落推薦の人を支持しないで、別の、例えば社会党候補を支持する人がいたとして、その人も集落推薦の人の選挙カーに乗って「○○をよろしく」とマイクを握らされるのでした。
社会党候補は組合を通じて支持を集めていましたから集落などの地縁で支持を集めないのです。
戦後しばらく、こういう集落ぐるみの選挙は日本国憲法の精神違反するじゃないかという投書が新聞に出たり、集落推薦の候補に投票しないと村八分にされるという訴えが投稿されたりしていましたね。
今では地縁に変わって企業による締め付けや利益誘導が盛んです。地縁的な締め付け誘導も消えてなくなったわけではありません。
市民レベルでの政治的な意見交換が未熟な日本で、政党の政策広報や政見を広める手法が大きく制約されていることで「選挙が盛り上がらない」「投票率が低い」とあいも変わらずマスコミは決まり文句を繰り返すのです。
人々が積極的に政治的な発言をして交流しなければ、そういう状況でこそ地縁や金権による投票誘導や締め付けが功を奏するのです。
- 2019/03/28(木) 00:00:30|
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