京都木屋町通り仏光寺近くにありますギャラリー高瀬川四季AIRで京人形師木股博人氏が実演をしておられました。
この方は以前にも撮影させていただいたことがあるのです。
たまたま、この実演の前日の搬入の際に「やはりあなたでしたか。」と、久しぶりのご挨拶をしました。

実演前日にこのギャラリーでお目にかかっていたことと、ギャラリー・オーナー氏が「どうぞ、写真を撮ってください。」とご配力くださったこととで、すんなりカメラを取り出すことができました。
会場には博人市氏の御尊父も見えておられて、様々なお話を親しく聞かせていただくことができました。

このような立派な跡継ぎがあるのですが、ご尊父の目はかなり厳しくて、「まだまだです・・。つい色々言いたくなります。」と笑っておいででした。

ご尊父には撮影を固辞されてしまいましたが、博人氏はこれがこの日のご自身の役割だと心得ておられたためでしょう、快く撮らせていただけました。

この日、階上では和独楽の展示、お話しもあってお客さんも少なくないようです。

人形は新作の制作は勿論、幾代にもわたって受け継いできたという人形の修復もされています。
中世、近世から受け継がれてきている価値ある人形の修復には昔の職人の技が見えて大いに学ぶところがあり、また大事な仕事にたいして緊張、責任感を感じると言います。
別の日に京仏具の木彫の職人さんとお話をしましたが、やはり同じことをおっしゃっていました。

博人氏の御尊父とお話をしていて一つ大いに考えさせられたことがありました。

それは、代々受け継がれてきた人形をお持ちの方が、傷んだ人形の修理を依頼されるときに、その修復に全力を尽くしつつも、修繕なった人形を、これからもまた長く長く継承していく責任をその方やその後代の方に負わせることの重い意味です。

例えば「町屋を保存しましょう。」というのはたやすいけれど、維持管理にも多くの費用を必要とし、生活の快適さもある程度我慢しなくてはならないことをその屋の方に強いることになるわけです。文化財級の建築物や品々を持つ人は、それをおろそかにできません。
それを受け継ぐ人はそのモノに縛られることになります。
時代も変わり、生活習慣や価値観も変わる中で、さらにまたいく世代もこの人形を守り継承する責任がその持ち主と継承者に生まれるという事です。
なかなか簡単な問題ではないようです。

この問題はまた別の角度からも考えなくてはならぬ点があります。
それはまた別稿で。
それはともかく、私はこうして、たまたま京都という町でカメラを手にしていることで撮ることのできる情景があるということを幸せに思うのです。
- 2019/03/26(火) 00:00:12|
- 伝統工芸
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人形の表情が好いですね…一つ一つ分けあって作り込む表情なんでしょうね…長い歴史が継承されて各ご家庭へ…匠はその先までを思いを馳せられて…良いお話しとお人形…有り難うございます♪
- 2019/03/26(火) 13:19:36 |
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- ひでわく #oyUv4a/.
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京都には一流だと評価される方がたくさんおられます。
そうした方はお仕事自身の成果が一流だというほかにものの考え方に傾聴に値するものがたくさんあるように思われます。
仕事や生き方にたいする厳しさと奥深い鍛えられた思考・思想があるように思います。
幾たびもそういうお話に触れて自分の無知と考えの浅さを気付かされます。
- 2019/03/26(火) 23:00:05 |
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- soujyu2 #-
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