私の息子は東京にいて、仲間を募って芝居をやっています。
自作のシナリオで10回ほど公演をしているようですが、最近はなかなか実現できていません。
プロモーションも自分でするのですし、なかなか大変なことです。
これからどう食べていくのだろうと親としては心配する面が大きいのですが・・・・、大したものだとも感心しています。少なくとも親父より果敢な人生を送っています。

COCOさんも同じような立場なんでしょう。
でもギタリストとして認められて各地のライブに参加しているようですし、こうして演奏会を開いているのですから、息子よりは上首尾なんだと思います。
いずれにしても野望、大志を抱いての事で、私のような小人にはできないことです。

写真を撮る私はそういう人たちの「目撃者」なのかなという思いでいます。
この人がリーダーのCOCOさんです。

自身が演奏しながら各パートをちゃんと聞いていて、そこはもう少し早く入ってとか、音が違ってない?!と指示しています。
当然と言えば当然なのでしょうが門外漢の私には「おーっ! 凄い。」というところですね。

ボーカル同士も盛んに微調整しています。
いつも組んでいるメンバーというのではなくて、今日このためのメンバーですから、お互いに違っていて当たり前ですね。
そのためのリハですから。
「私もう少し上げようか。」

バックのバンドもまたいいんですよね。

この後又カラーが出て来て、そちらは、なるほどこれはカラーがいいなあというものがありますが、なかなか悩むところです。

「横畠裕介内閣法制局長官が6日の参院予算委員会で、立憲民主党会派の小西洋之氏に「(国会の機能は)このような場で声を荒らげて発言するようなことまでとは考えていない」と答弁した。野党の抗議で審議は一時中断。横畠氏は答弁を撤回した。」(朝日新聞3/6) 結局横畠法制局長官は発言を撤回し謝罪の言葉を口にしたが終始野党をからかうようにへらへらした表情で何ら反省の色がない(色がないかどうかは見る者の主観でしかないが)。
「声を荒げて云々」のところばかりを取り上げて報道されるが、実はこの時の横畠法制局長官の発言にはもう一つ重大な問題があってそのことが取り上げられていない。
ご存じのように我が国は三権分立の「チェック&バランス」体制で権力の暴走防ぐことが憲法によって期待されている。(そこに法制局の役割もあるのだが) 内閣に対して国会は内閣総理大臣の指名をし、また不信任を決議することができる。法の執行に対して国会には国政調査権がある。
ところで、学校で教える三権分立の図解では往々それぞれのチェック&バランスは示していても、国会は国権の最高機関であることを書き落としていることがある。 国民の意志に沿って立法、行政、司法が運用されているかが肝心なポイントで、国民の意志≒国会の意志ということになっている。だから行政府の行為が国会によって監督されるのは当然のことだ。国政調査権ももっと強調されていい。
横畠法制局長官は「国会が一定の監督的な機能はある」と答弁しているが、これを文字に起こせば何の問題もないようにみえるのだが、彼は敢えて「的な」という部分をゆっくりと強調して答えているところに問題がある。「監督機能がある」とは答えなかったのだ。
立憲民主党の小西氏は「国会議員の質問は、国会の内閣に対する監督機能の表れだとする(政府が閣議決定した)答弁(書)があることを確認してほしい」と質問していたわけで、「監督機能」という言葉を「監督『的な』」と言い換えて、かつまたそこを強調しているのは無自覚にしているわけではないあ。「監督機能があると言えなくもない」くらいに弱めようという意図があるからだ。
「声を荒げて云々」も問題には違いないが、私はむしろこちらの方を徹底的に追求して押し返しておくことが肝要だと思った。国会のその場の雰囲気で「売り言葉に買い言葉」的に反応してしまったことで明確にしなくてはいけない問題が曖昧になったと感じている。
挑発に乗って冷静な判断力を失ってはいけない。
- 2019/03/09(土) 00:00:27|
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