音楽の演奏を写真に撮ることも、、無論楽しみなんですが、音楽を聞きながらこうして写真をセレクトしてブログにアップすることもまた私の楽しみの一つです。
そして演奏を思い出しながらというよりも、この演奏家の人生の断片というものに思いを馳せるのです。

少し親しくして頂いている方ですからほんの少し来歴を存じ上げています。ですから色々なことを思うのでしょうね。
この方はオーボエ奏者としても評価されていますが、ピアノ演奏や作曲・編曲にも活躍されているのです。

私はこれまでオーボエ奏者としての一面としか直接には接してきていません。能力のある方というものはどこまでもすごいですね。
これまでオーボエの演奏をする姿は幾度か撮影してきました。この記事を書いている2日後にも撮らせていただく予定です。

ご自身のプロフィールとして私の撮った写真を使ってもいいかと言っていただいているのですが勿論喜んでお使いいただきます。
それがオーボエ奏者としてのという事なので、その後ピアノ奏者として、また作・編曲家としてのそれも欲しいとおっしゃっているので喜んで撮らせていただくことにしています。

私が感心するのは、上記のようなことを私に求める場合に必ず「対価を払う」とおっしゃることです。
それはご自身のプロ意識の裏返しだろうと私は思っています。
この演奏会の時にもリハーサルの前のおしゃべりの中でクラリネットの方が「もう唇が取れちゃう。」などと軽口を言っていましたが、朝から相当な個人練習をされて、さらにアンサンブルのためのリハをして本番を迎えるのです。

毎日の練習量は半端なものではないのです。
そこにプロの演奏家たらんとする覚悟、姿勢があるのでしょう。
そして他の分野で活動しているものに対しての敬意が生まれる、そういう事だろうと思います。

私自身がそういう敬意に相応しいものではないことを私はよく知っていますが、ただそうした彼らの在り様に感心するのです。
それで私がどのように踏み込んで撮影をしても少しも迷惑そうな顔をしないで、むしろそのことを自身の演奏の集中に向けていかれる姿勢の素晴らしさを感じます。

ご自身たちの世界にはそれ相応の流儀というものがある、それであれば別分野、例えば絵画の世界にしろ、写真の世界にしろ、それぞれに固有の流儀があるだろうと、それを敬意をもって想像できることが、この人たちの演奏家としての思考の深さだろうと私は感じるのです。

真に深い、謙遜のある自尊の心は、他に対する敬意となって出てくるのだろうと私は思っています。
この方たちとの交流から気づかされることがあります。
それは、現今の日本社会の他者に対する貧相な想像力の根源は多くの人が如何に自尊感情を傷つけられているかの反映ではないかと・・・そんなことです。
- 2019/03/06(水) 00:00:06|
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