皆さんは「キンカン」という言葉を耳にしたことがありますか。「毎週金曜17時~19時に行われる関西電力京都支店脱原発包囲行動(キンカン行動)」のことを言っています。
毎週「金」曜日に「関」電前で会いましょう、というわけですね。
猛暑の夏も、厳びしい寒さの冬も続けられる「原発再稼働やめよ」「原発いらない」の声を上げる行動です。

日本人は「健忘症ではないか」とはよく言われることです。
忘れてはならない大切なことを実に簡単に忘れてしまう傾向があるようです。
麻生財務大臣兼副首相などは、そういう日本人の気質というか知性の性質をよく知っていて、どうせすぐに忘れるから少々問題を起こしても問題発言をしても大丈夫だという確信を持っているようです。

でも世の中、そういう忘れっぽい人たちばかりではないようで・・・・・。
広島・長崎原爆被害問題でも、福島原発事故問題でも、沖縄米軍基地、辺野古基地問題でもとてもとても執拗に問題を忘れずにいて人々の記憶を喚起し続ける人がいるのですね。

ソクラテスは「哲学者(自分自身)はポリスの虻」であるべきことを自認していました。人々の覚醒を促すためにたとえ人々からどのように疎まれようとも真実を訴え続ける虻であれ、あろうというわけです。

忘れっぽい日本人の別の一面には「人から疎まれるような」虻にはなりたくない、首を引っ込めていようという心性もあります。「モノ言えば・・・」という心性ですね。そうした平均的な国民性を思うとこの人たちの存在はとても貴重だなあと私は思うのです。

このサングラスの方は、よく知られたフォークソングなどに新たな歌詞を載せて原発の危険性や、核廃絶への思いを訴えています。その歌は静かな口調で絶叫型ではありませんが、通りかかる若者が反応しています。
TVやラジオ、あるいは商業的に売り出される歌の多くは恋愛や個人の私小説的な内面を歌ったもので、かつての労働歌や反戦歌、プロテストソングは極めて稀です。

でもそうしたモノは厳然として存在するわけで、ただメジャーになることに様々な多くの障害がある、作られているということがあります。
ニュースなども同じで、ある人たちが国民に聞かせたいもの見せたいものがTVや雑誌、新聞を覆っているという側面があります。
- 2019/02/21(木) 00:00:28|
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