それにしても私と同い年の内田氏の活力に満ちたお顔には驚きます。
武道もされておられて、この時も翌朝6時から稽古があるので、今日は質問時間を設けずにお帰りになるという事でした。
渡邊氏もまた翌日には東京で・・・、とお二人とも大活躍です。

著書によれば内田氏は定年退官ののちには少しばかり時間に余裕ができるはずだったのに、却って忙しく講演や著述に追われているとのことです。それで他の人が書くようなことは書かないようにし、自分しか書かないことのみに絞って書いているのだそうです。それで却って忙しくなっているのだろうかとも。

それにしても対談というのは難しそうですね。
どちらかが狂言回しを買って出ないと、話題の方向性が定まらないですし、相手の話を引き出すこともできにくい。
私は客観的に評価すれば能弁に属すると思います。ですが人とお話しするときには、私の話を引き出そうとする人は少なく、多くはその人自身が「話したい」「聞いてほしい」人なので、聞き役や進行役をしてしまいます。
人数が少し多ければなおさらです。 ですから、私の「話し」は私のうちに溜まるばかり。それでこうしてブログを書いている・・・のだろうと思います。

若い時には、人を掻き分けても話していた時もありますが、次第に今のような状態になりました。
ですから口数はとても少なくなったと思います。

あなたは「講師」ですよと決めていただければ他の人に気兼ねなく話せるのでいいのですが、懇談とか会議では・・・・。
パネルディスカッションの様子を撮った写真で困るのは、話す人は生き生きと表情豊かに話しているのに、司会者は進行の確認のためにメモに目を落としていて話者に視線を集中していないし、話していない人はあらぬ方を見ていて今現在話している人に耳を貸していない…ように見える時です。

日本人は対話や討論が苦手だと言いますが、話者を盛り立てたり、関心を示すことが下手ですね。
その点お二人という設定は、まあやりやすいかもしれません。 でも時に片方の人が滔々と話してしまって、いつまでも話を止められないで相手が待ちくたびれているなんて時は困りますね
昔同僚に、話しだすとその話をどう終えていいかわからないという人がいました。
なら、話し始めなければいいと思うのですが・・・という訳にも行きませんから、せめて話の組み立てのメモぐらいは事前に作ればいいのになあと思ったことでした。 でもその人は自分では「いい話をした。」と思っていたようで、少し忠告したぐらいでは変わりませんでしたね。

私が小学生のころ先生がよく「不言実行」をたたえて、「有言」の人を「下」の人だといっていました。「口から先に生まれた」とよく評されていた私は何時もその話を聞いて嫌な思いをしました。私としては子供心に「有言実行」こそ一番尊いのになあとおもっていましたし、大半の人は「不言不実行」でしかないのになぜそこを問題にしないのだろうかと。
民主主義では「話す」「聞く」を通じて考えを共に深めることがとても大切なのに、「巧言令色鮮し仁」ばかりを強調するのはおかしいなあと思っていたことでした。
- 2019/02/18(月) 00:00:24|
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