鈴木さんとは高校の同窓なんですが、私の弟と同学年じゃないかとお話したことがありました。 私の弟は多分その学年では幾分知られた存在だと思っていたので、知らないのはおかしなあと話していたのですが、その後卒業アルバムを見てもそれらしい人間はいなかったという事でした。鈴木さんはさらにひとつ学年が下という事でした。

単なる気分の問題、先入観なんですが、鈴木さんの笑い顔を見ていると、なんとなくあの静岡の西部の雰囲気がするんですね。
彼は海沿いの別珍・コールテンで有名な町、私は旧東海道見付の宿場町の子(とは言えませんね、今でこそ家並みがつながっていますが)?でした。

「思えば遠くへ来たものだ。」と歌われましたが、高度成長期以後の若者の少なくない者が故郷を離れて暮らしの地を見つけ、そこで人生を終るのです。
日本史の中では極めて特異な状況ですね(戦争政策をとった政権ににそれを強いられた先輩たちがありましたが)。これからも続くことでしょうが。

こうした写真を見ていると、その人の人生の断面、刹那に触れているんだなあという感じが起こってきて切ない気持ちになりますね。
そこに自分を重ねるからでしょう。

それで、私は自分ながら良い課題を設定したなあと思います。

実は、ほとんどご自身では動けなくなり意識も不分明なご主人のために定期的に音楽家を招いてライブ演奏を聞かせてれおられる様子を、以前拙ブログでご紹介しました。
そのご主人の訃報を2週間ほど前にいただきました。
あの時写真に撮って、こんな時間を一緒に過ごしたよと言う奥さまの記憶を写真にして差し上げられたのは良かったなあと思います。
写真に人生あり、です。
- 2019/02/16(土) 00:00:58|
- 絵画
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0