描く人を撮るのは難しい。
私の発想が狭く限定されているからだろう。
また自身が描くということを経験していないから、イメ-ジが膨らまないのかもしれない。
音楽でもなんでもそう言えるのかな。 そう言ってしまうと、自分が経験していないことを撮ることはできないということになってしまうので、どうもまずい。

だから、絵を描くことに対するあこがれやリスペクトの気持ちを抱く者としての写真という事、そう考えればどのようなものを対象にも、その気持ちさえあれば撮れることになる。
カギはその気持ち。

そうなれば世間的な評価とか、この絵はいくらするの的な価値観から解かれて写真が撮れるような気がする。
それで撮り方も、個性が出るかな。
その可能性はあるな。可能性だけど。

問題は「こいつには撮らせたくないなあ。」「こいつは何もわからないやつだから撮らせても何も期待することはできないなあ。」
一方、描くときは完成した作品に対しては舞台裏みたいなものだから、「こいつなら見せてもいい。」と思ってもらえないと具合が悪い。
せめて「まあ害はないだろう。」くらいには。

音楽演奏の時と同じで、むしろ気合が入るということになると具合がいい。
20ミリを付けると、もう肩のあたりにレンズがあることも珍しくないのだから、撮る人間の気配がうっとうしいようなことになれば、作家と撮る側の関係を壊す。
それが逆ならば有難い。

ある瞬間壁面いよてt集中して手を打緒後貸しているかと思えば次の瞬間後ずさりして目を細める。そいう画家の動きを全身に感じて撮らないと思わぬ失敗をする、迷惑をかける。
この時のような場合は私の後ろに「見る人」がいることがある。
画家が一歩二歩下がる、それに反応して私がステップする、それで後ろの人にぶつかったらえらいことだ。
これはジャズの撮影などの場合にもよくある。

そういう意味で自身がさび付かないようにしないといけない。
今でもあまり自信がないが、何とか頑張りたい。
- 2019/01/15(火) 00:00:35|
- 絵画
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