音楽をするときに歴史の積み重ねの中でほぼ完成された楽器・・・といってもまだまだこれから改良されていくんでしょうが・・・で演奏するばかりが能じゃない・・・というのは言うは易いのですが。

社会的に虐げられ貧困に苦しんた民族や国民が手近にある木の端や打ち捨てられた金属の缶や蓋などを使って音を出し、踊り歌うという貧しきものの音楽を作ってきたという事例は古今東西に見られる。
いわばそこに音楽の根源というか原初形態があるともいえるかもしれない。
そういうことを考えれば先進国の真ん中でこういう音を出してもいいじゃないかと・・・私も思います。

しかし、ただ手近にあるものを適当にならしているのではなくって、実に工夫が積み重ねられているのだということが教えてもらって分かります。
このプラスティックのバケツのどんどん(ぼんぼん?)という低い音が基調になって、この音の確実なリズムがないと他の音がバラバラで秩序づかないのだそうです。
伏せられたバケツの口の全体を地面にぺったりと設置させるのではなくて、盆を下にかましているのはそれだけの音量が出ないのだそうです。これも初めからの仕掛けではなくて経験から探し出した工夫の一つです。

たたくばかりが能じゃありません。
この灰皿を掴みあげて落とすのです。
そしてまた地面に擦りつけて円を描いて音を出します。
ここには単に音の追求だけではなくてストリートパフォーマンスとしてエンタテーメント的な工夫もあるわけです。

灰皿も表にしたり裏向けたり。
この人は背も高くて足が長いし手指も長い。それで空間を大きく使えて楽器も数多く広げられます。
叩かれた楽器たちはどんどん遠ざかって広がって逃げていきますが・・・・ここが斜面であるからなおのこと・・・・それを「おいおいどこに行くんだ」とばかりに追いかけては集めて演奏に参加させます。

楽器たちが小躍りします。
- 2019/01/08(火) 00:00:11|
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