このミノルタの85ミリはほとんど常にマニュアルでピントを合わせます。
光が相対的に強いとEVFではよく見えなくなることがあります。いや見えているはずなのに私の目がだめなんのかもしれませんが。

お店を作っている傘をくぐって女の子が突然登場。
これはチャンスとシャッターを切ったのですが、焦り過ぎて絵描きさんの目を確認しきれませんでした。
取り逃がすよりシャッターを切れ!を原則にしているのですが、それでうまくいくのは何割でしょうか。でも何も撮らないよりはいいのだと思っています。

そうすればこういう事もあります。
無論、闇雲にシャッターを切っているわけではありません。が、期待通りに二人の視線の方向がぴったりと一致する瞬間があるかどうかは事前には分からないわけですし・・・。
ただ、その瞬間が、次のタイミングに「来るぞ!」と予感できるようにならないといけないなあと思っているのです。
手作り市に写真の店を出している方でとても良い写真を撮っいる方がいて、「来るぞ!」という感覚について、そういうのあるよね、そうなるよねと話しが弾んだばかりでした。

写真雑誌や写真関係のユーチューブで、もっとこういうことについて書いた(話した)方がいいんじゃないかと思うのです。日の丸構図がどうだとか、黄金分割だとか、あとはカメラの性能の事ばかりではあまり写真文化の前進には貢献できないように思います。





私のFBの記事から
皆様、新年明けましておめでとうございます。
良く晴れて雲一つなく、空気はとても冷たいのですが、日差しがとても暖かいですね。
大みそかにはベートーベンの第九交響曲を聴くと言う世に広まった習慣に従ってというのでもないのですが私も聞きました。私にとっても恒例の一つです。たまたまフルトベングラーが1951年に指揮した演奏を聞くことができて、第九を、音楽演奏というものを、再認識した思いでした。
若い時には冗長で大げさで重苦しくていやだなあと感じていたフルトベングラーもすっかり変わって聞けたのはうれしいことでした。
さて、ブログの方にも書きましたが「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもあり めでたくもなし」という一休禅師の言葉をまたここにも自戒の意味で書きつけておきたいと思います。
読売新聞が韓国の文政権の支持率の低下を報じています。その中で韓国の保守系新聞がアベノミクスの成功に比して文政権の経済政策がうまくいっていない報じていることを紹介し、「『時代錯誤的に労働運動が最もしやすい環境を作った」と批判した。」と書いています。
安倍政権は世界で最も企業活動をしやすい国を作ろうとしているのに文政権は労働運動をしやすい環境を作っいるということを暗に韓国紙を利用して言っているのでしょう。
読売は正直ですね。誰のための何のための政治が求められるかということがあけすけに語られています。
産経が「平成最後の年越しを迎えた直後、『若者の街』を象徴する人気ストリートを“テロ車両”が暴走した-。」と東京原宿での事件を報じているます。「テロリズム」とは「政治的目的のために、暴力あるいはその脅威に訴える傾向。また、その行為。暴力主義。 恐怖政治」だと広辞苑は書いています。
この原宿の混雑に突っ込んだ軽自動車の運転手に何らかの政治的意図があったとは書かれていません。にもかかわらず恐ろしげないことをなんでもかでもテロと表現して「新年早々の惨事に『恐ろしい年明けになった』とする投稿もあった。」と時代全体として「恐ろし」く不安なものだと書きたてる意図はどこにあるのか注意したいものだと思います。
私はテロを肯定するものではないですが
石川啄木がいわゆる「大逆事件」(時の権力による幸徳秋水らによるテロ計画でっち上げの弾圧事件)ののちに
「われは知る、テロリストの
かなしき心を──
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らむとする心を、
われとわがからだを敵に擲(な)げつくる心を──
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有(も)つかなしみなり。
はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。」
のような、
また徳富蘆花の『謀反論」のごとき多面的で事の深部に届く知性とを眠らせる安易な報道だとおもいます。
わたしたちが「おめでとう」「おめでとう」と言い交しているまさにその時に、ある人々のある強い意志は確実にこうしてうごめいているように思われます。
クワバラクワバラ
- 2019/01/02(水) 00:00:53|
- 手作り市
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