対岸から聞こえてきました。
かなり意識的に音を引き出そうと試みています。

単に良い音で正確に演奏しようとしているというのではなくて、そのよい音とはどういうものかを探求しているように聞こえます。
つまりジャズではどうか、ブルースで同じ音でよいのかというように。
同じjazzでも曲によって違うでしょうし・・・。

この事は写真についても言えるんだと思います。
適正露出とは、オートフォワイトバランスの色でいいのか、水平垂直は傾いてはいけないか、てぶれはいけない?! などなど。
もの撮りの時の光の当て方とポートレートとでは違うでしょうし。またポートレートという言葉で一括りにできるものではありませんよね。

絵や彫刻、あるいは音楽や舞台芸術などの世界に比べると写真は探求も広がりも未だしという感じがします。少なくとも私の身の回りでは。
私の演奏者の捉え方がまさにそれです。

この同じ場所で、写っている人が違っても置き換え可能な画面しかないということが問題です。

これはなかなか辛いところです。
この人たちを見る目、思想が一つしかないという事、それが進化していないことに問題がありますね。


そういう意味で、この人のように「教科書的な音を出してそれでよい」としないということが必要なんだと思いました。
カメラの可能性だってレンズの可能性だって試していないということが問題です。
それはいつも正解を求めることしかさせない学校と似ています。
画家も陶芸家も、そんな制作姿勢の人は大成していないのじゃないかなと・・・・足りない頭で考えてみたりします。
機材にも自分にももっと多様性、可能性があると思わないと面白くないですよね。
- 2018/12/18(火) 00:00:28|
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