画家の寺田みのる氏です。
毎日新聞に連載されているのでご存じの方も少なくないと思います。
大手電器メーカーを早期退職されて、この道に進み、絵だけではなくて味のある字も書き、歌も歌い、人を楽しませるおしゃべりも秀逸な人です。

今日のジャンル分けが絵でも芸術でもなくて「人物」になっているのには理由があります。
これまでも時々書いていますが、私は次々回の個展か、あるいは、グループ展で「おじさんコーナー」を設けようかと考えているのです。その中にこの寺田氏のものを必ず入れようと目論んでいるのです。

高齢化社会、高齢化社会と否定的悲観的にものをいう向きが多いように思います。
少子化という事態を防ぎきれずに、なすすべなかった・・・というよりその気がなかった・・・保守政権の作為的な情報操作だと私は思っています。
人々の長年の夢だった長生きが歓迎されないなんて、そもそも歪です。
「経済効率」・「生産性」でしか世の中や人の生き死にを計れない強欲のお化けたちがこの世を牛耳っているからこういうことが言われるのだと思っています。
そういうことがいくら喧伝されても、どれほど嫌われても「世にはびこ」ろうとするのが人のごく自然な欲求です。
私はそうした高齢者「ワクワク人生」を大いに讃えたいと思います。

高齢期を「ワクワク生きる」ということが、実はそう誰にでも許されていることでないこともまた認めなければならないと思います。
そこに社会の責任、もっとはっきり言えば行政と私的企業の責任≒罪があります。
寺田みのる氏は絵の教室を開いて沢山の生徒さんと楽しみを共にしています。
この方はアラウンド・エイティの方ですが、その生徒さんのお一人です。
今日は先生である寺田氏の個展を見に来ておられます。

そしてこの方もまた同世代の生徒さんで、先の方のお友達です。

お二人がギャラリーの外を流れる高瀬川を眺めながら気持ちよく歓談されているところを、お願いしてとらせていただきました。
放送局がニュースを報じるときに次第にバラエティ番組化していると指摘されてきたが最近おNHKンも民放化はすさまじいものがあるように感じる。起用するタレントが一民放で活躍しているものをそうざらえし始めている。まるで読売ジャイアンツ的に札束にものを言わせているのかHNKブランドを利かせているのかわからないけれどもう画面に映るタレントではHNKと民放との区別がつかない。
ニュースもランク付けして面白おかしく報道することがある。要するに大衆受けだけの評価になりつつある。第一スポーツの金メダルと沖縄辺野古基地の問題を「ランク付け」して報じるなどという無思想、不見識を平気でやってのけるようになってきている。
新聞・テレビで報じられないことは多くの大衆にとって「なかったこと」に等しくなる。
元貴乃花問題や高速道路での「あおり運転問題」あるいはあれこれにタレントたちの不倫問題などでニュースの時間をふさいで、別のあることが報じられないということはつとに指摘されてきているが、広告収入に頼らなくていいNHKはそこは線を画する一一味違うスタンスと撮りうるはずなのだった。
CMのクライアントに対する忖度が公害問題、食品添加物問題、あるいは地球温暖化問題、あるいは企業の労基法違反問題などについて及び腰になる民放について人々の評価は「仕方がないんじゃないの」で終ってしまっている。そこにNHKの政権「忖度」が加われば、庶民にとって必要な情報・事実は「ないこと」になってしまう程度ががぜん深刻になってくる。
そういってNHKや民放をどうせそういうものさと
いって突き放してしまうことは局内で懸命に放送の民主的なあり方を求めて踏ん張っているスタッフを突き放すことになる。
私たちは政治動向などが思うように進まない時に「マスコミが悪い」と言って責任をマスコミに押し付けて気を晴らしてしまう傾向にないとは言えない。
憲法に民主的条項がいくら並んでいてもその民主主義的制度なり精神を現実化するのはそこに住む市民をおいてほかにない。
マスコミの正しい在り方というものがあったとして、それを現実化するのも発信者と受信者双方の現実的行動による。
私が黙ってしまうのもマスコミが話をそらしてしまうのも同根の病弊による。
黙っていてはいけないときに沈黙を守るのは現実を肯定することに他ならないということはこれまで幾度も言われてきたこと。
安倍自公維政権の反立憲的反民主主義的反平和的暴挙の連続を見て沈黙を守るものはその共犯者となるということを私たちは戦前の歴史から学ぶべきだろう。
- 2018/12/16(日) 00:00:17|
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