
今年の夏でしたか、若い外国人男女が鴨川の流れに入って、すっかり腰を流れの中に下ろして積み石に興じていました。
それにしてもこの積み石は難しいバランスを保っています。
どうやらこの人が「主犯」のようなのですが、周囲には子供も交えてたくさんのギャラリーと、やはり積み石に挑んでいる人たちがいます。

どの人と誰が親しい関係にあるのか、親子なのか、はたまた夫婦なのか、その組み合わせがまるでわからないくらいに混在してここで起きていることを楽しんでいます。
ここに生じている『場』は、まさに芸術空間と呼ぶよりないものです。

殊に子供たちの熱中度は大変なものです。お母さんが「そろそろ帰らない?!」と幾度声をかけてもまるで意に返さずにとっかえひっかえ石を選んでは積み上げています。
その情熱を引き出しているのが、この人です。何か指導めいたものや助言のようなことは一切しないで、ただ黙々と自らの課題に挑戦しています。
そしてそこに作られていく造形が子供たちの何かに火をつけているのです。

平らな石を探して積むのではないのです。できるだけ歪んだ、傾いた、いびつなものを探してはそれをバランスさせて積むということが、もう自然に楽しさとして周囲に伝播しているのです。
二つ目と三つ目と四つ目まではバランスが取れていないのに最後の一つでこれまでの全部のアンバランスの帳尻を合わせる解を探すのです。
そしてその最後の石自体が、これが立つの?という様ないびつさを持っているのです。
何度も何度も位置を変え、角度を変え、違う面を当てて解を求めます。

結果より過程が好きだとおっしゃいます。この過程は「禅」に通じるように思いますとのこと。
ご自身は「整体師」をされていて、この積み石をする過程で呼吸を整えて集中すると心身全体が整うと言います。
出勤前にこの積み石をすることがよくあるのだそうです。「そうすると調子がいいんです。」

子供たちは、驚いて不思議そうに眺めて、次からは「出来る」という確信をもって挑戦し始めます。
だってできるということを目の前に見ているからです。
そしてあんな面白い形をしたものが立つんだ。僕も立てたい!! そういう気持ちになるようです。

ここに教育にとって、子供の発達にとって極めて大切なカギがあるように思います。
分かりやすいことを分かりやすく教えているだけではダメなんですね。 ワクワクするような素晴らし実物を見ることが大切で、子供は山を自らよじ登っていくのです。それが楽しくてやってみたいからです。
安易に、こうしたらできるよ、なんていっちゃダメなんです。 目標を小分けして、どんどんできるから楽しいというのは、あくまで事の一面です。
殊に芸術教育においては。そして決して芸術に限らずです。
終わりから3枚目4枚目に写っている男の子の目。子供はこういう眼差しをもっているのです。
- 2018/12/11(火) 00:00:02|
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素敵な写真と共に素敵な記事にして頂き、ありがとうございます。
いつかまたお会いした時に写真を撮って頂けたら嬉しいです(^^)
- 2018/12/19(水) 22:22:10 |
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- 池西大輔 #-
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コメントありがとうございます。
こちらこそいい空気の場に出会わせていただきありがとうございました。
人物の写真を撮っていてうれしい言葉の一つが「また撮ってください。」です。
あの辺りはよく徘徊していますので、是非またお会いしたいものです。
- 2018/12/20(木) 11:56:03 |
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- soujyu2 #-
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